なんの因果でこういう事になったのか、またしても俺は三年前という時空に身を投じる事態に見舞われた。
こういった事象は俺にしてみれば全て唐突であり、また今回のそれも例外ではなく、訳も解らぬまま敵国の捕虜さながらの連行によって、今この時空に放り込まれている。
短絡的かもしれんが、要するに俺の意見などお構いなしということだ。
まあ、かといって駄々っ子を試みたとか、別にそういうわけではない。むしろ朝比奈さんのお願いダーリン的なお誘いに、つい一言返事でホイホイ付いてきただけなんだが、そこは言葉の綾というやつだ。
そして予想はしていたが、訳が解っていないのは俺をここに連れてきたご本人様ですら同様らしく、俺は事情を知っているであろうフェロモンが幾分か上乗せされた別の出で立ちをしたご本人様の姿を探してキョロキョロしているのだった。
そうして二人して不審者ごっこにいそしむこと約数分。
やにわに取り出されたここら一帯の地図をかの3Dアートみたく凝視しているのは、そのご本人様。
俺はその真意を探るべく、傍らでそれを取り出した、もとい俺をここへ同行させたそのご本人様こと部室の大天使朝比奈さんに問い掛けてみる。
「どうしたんですか、その地図?」
そう言って俺も朝比奈さんに習い、地図を覗き込む。
「あ、はい。今朝ポストにこの地図が入ってて、この印の付いてある場所に行けっていう未来からの指令なんです」
竹ひごみたいに細く小さな御指が、うっすら滲んだ朱色印上に触れる。
そこに朝比奈さん大人バージョンが待ち構えているって寸法か。どうにも回りくどいやり方だな。
いや、待てよ。だとすればだな、今俺の傍らで地図と格闘中の方の朝比奈さんはどうするつもりだ?
前回はこちらが待つ側だった。だからこそ、よもやの不意打ちで眠らせることができたものの、今回はこちらが立ち後れなわけだ。
大小の両朝比奈さんが満を持してご対面なんてことになれば、それはかなりマズいんではないだろうか。
例えそんな、孔明のような軍師様をも唸らせる事態が発生したところで、こちとら事態の収拾はいざりの京参りである。
こんなすこぶる危険な賭けを任されたところで、俺じゃ間違いなく役不足ですよ朝比奈さん(大)。ハルウララを勝ち馬券に絡ませるのは、どんな名ジョッキーでも、ちと無理があるってもんだ。
まあ、杞憂だと信じよう。あのあらゆる箇所がビッグな方の朝比奈さんなら、そんな初歩的なミスに足を取られるとは考えにくい。隠れておくなり何なりで、どうとでもなりそうな感じもするしな。
ともかく、どうあれ今は行き先を地図上の印に委ねる以外なさそうだ。何かあったらあったで、またそん時考えりゃいい。
「あ、あれ? うーん、こっちなのかなぁ……。キョンくん、これこっちの方向で合ってます?」
頑張り過ぎが逆に仇となったのか、このお方は地図を南北逆にご覧になっていらっしゃる。その神々しいまでの取り違えっぷりが、これまた逆にこのお方の可憐で可愛らしい部分を存分に引き立てている。
「ふえっ……。ごごごめんなさいっ。やっぱり、キョンくんが地図持ってください……」
このまま放っておくと目的地に着く前に三年経って、自然と元の時間軸に戻ってしまいかねないので、俺は朝比奈さんから地図を受け取ることにした。
「さっき曲がったところが逆ですね。まあ、印のところにならこのままでも行けますから大丈夫ですよ」
「ふえぇ。ごめんなさい……」
しょんぼりと肩を落とした朝比奈さんという、いじましいまでに庇護欲を湧き立てる光景を視神経に伝わせながら、俺は地図を片手にいざ目的地へと足を進めていた。
どうしてまたグラマラス朝比奈さんは、目的地とは最寄のスーパーほど離れた遡行地点を指定したのかさっぱり解らんが、そんな軽い散歩も折り返し地点を過ぎた頃だった。
「なんだ?」
後ろの方からブオンブオンという、エンジン音にしては只ならぬリズムを刻んでいるのが俺の鼓膜に届いた。
どうやら峠じゃなく住宅街を攻めるのが昨今の走り屋事情らしい。いや昨今というか三年前なんだが。
「え……ど、どうしてあんなスピードで走ってるんですか?」
「単なる目立ちたがり屋なんですよ。気にしない方がいいです」
どうやら朝比奈さんの時代の走り屋や暴走族的なものは、多少こちらとは勝手が違うらしい。違うというかむしろ存在しない可能性もありうるが。
確かに「夜露死苦」に代表される、趣の欠片もどこぞといった当て字がでかでかと刺繍された特攻服とか、現代視点でも恐ろしく時代遅れな感は否めないからな。今の時点ですでに絶滅危惧種に認定だろう。
それに今俺が見ているのはそういうのではなく、単なる過度のスピード違反野郎だ。
「あ、こここっちの道に入って来ました」
「大丈夫ですよ。騒音以外は、一般人には人畜無害な奴ですから」
とは言ったものの、なんせクラスメイトにムカついたからという理由だけで刺されたりするのが昨今の社会風潮だ。一概に安心できるとは言えんかもしれん。
そんな俺の意中が当たらずとも遠からず、遺憾ながらここで人畜有害な問題が発生した。
後ろの暴走車からふと前に視線を戻すと、何か灰色の物体がアスファルトを横切ろうとしているのが見える。
「キョンくん、あそこに何か……」
視線をそちらに向け僅か一秒ほど目を凝らすと、容易に小動物の類なのが見て取れた。
「ひえっ!」
小犬だ。
どこを見てんだか暴走車は、まだその小さな躯体に気付いていない。
大きな金属の塊と小さな命一つが隔てる距離は、無情にもはばかりなしに詰まっていく。
「危ねえ!」
――轢かれる。
と思ったその刹那、運転手は突然の障害物の出現にようやく気付いたのか、急激な軌道修正に打って出た。
つうか、
「なんでこっちに曲がってくんだよ!」
こともあろうに俺たちのいる側へとハンドルを切りやがった。
「ひえぇぇー!」
天国から国産中古車ハイヤーでのお迎え。そんな安っぽいもん、例え寿命を全うしたとして誰も死ぬ気になんざなれやしねえ。
とにかくこのままではマジに天国行きだ。
俺はとっさに避けようとするが、
「朝比奈さん!」
隣の大天使様は足を震わせて固まっていらっしゃる。
まずい。朝比奈さんを本当に輪っかのついた天使にさせた日にゃ、俺はマジで切腹もんだ。
「くそっ!」
ドンッ、と割かし強めの力で朝比奈さんの肩を突き飛ばす。「あふっ」とか言いながら簡単に飛ばされてくれるのが、この期に及んで罪悪感をそそる。
だが、これで朝比奈さんの安全は確保。
続いて俺もすぐさまフライングアウェイだ。
「痛えっ」
間一髪、車は俺のすぐ横数センチほどの距離ですり抜けていった。
何とか危機は脱したものの、考えなしに飛び退いたもんだから着地がままならない。腰が痛え。
てかあのスピード違反野郎、謝罪も何もなしに行っちまいやがった。ああいう連中を育てた親ってのは、いったい我が子の素行をどれだけ把握してんだろうな。くそ、ボディに十円傷でも付けてやりゃよかったぜ。
だが今は難癖つけるのは後回しだ。
まずは朝比奈さんの無事を確認せんと、俺は突き飛ばした自分とは反対側の道路脇を見やる。
だが、
「朝比奈さん?」
いない。消えた?
……まさか。
おいおい、冗談じゃねえぞ。またか。またなのか?
またしても俺がすぐ傍に居たってのに。くそっ、なんて節穴だ俺は。
「ちくしょう!」
いや、待て。冷静に考えろ。さっきの状況で朝比奈さんを連れ去るのは、何かと無理がある。
まず車は一度も停車していないし、それどころかスピードだって急激に落としちゃいない。
車を走らせたまま人を連れ去るなんて芸当ができるのは、それはルパンかジブリの世界くらいのもんだろう。つまり現実では不可能だと思っていい。
だったら何だ? 朝比奈さんの消失に、どういうあらましを立てれば筋が通る?
「ったく!」
なんだってこんな手数の掛かりそうな事態が俺に舞い込んできやがる。こんな余計な散歩させるからですよ朝比奈さん(大)。
朝比奈さん(大)?
いや、これはもしや。
朝比奈さん(大)、これはあなたの仕業なのか? この為にわざわざ地図の印地点とは離れた場所に時間遡行させたとか言うのか?
なら今から俺が向かうべきはただ一つであり、それは印地点以外には無いはずだ。
どっちにしろ、この時間軸で状況を説明してくれそうな人物は限られてくるからな。その一番の候補があのグラマラス朝比奈さんなわけだ。
やれやれ、俺が地図を持っておいて正解だったな。
今や慣れ親しみつつある三年前という時空で一人、俺は目当ての人物が待っていることを半ば確信しながら目的地へと早歩きを始めた。
「ここだな」
行き着いた先は、どこの団地や住宅街にも一つはありそうな、これまた何の変哲もない小規模な公園だった。
しかしブランコや滑り台などは手入れが行き届いていないのかすっかり錆び付いており、目に入る人影はこの住宅街の住民だと推測される少女一人だけである。
あのOL風コスチュームに身を包んだ、フェロモン満載の栗毛美人は見当たらない。
どういうことだ。
今や経験過多とも思えるさしもの俺も、目当ての人物がいないことに焦燥感の発生を余儀なくされるが、ここはしばらく待ってみることにする。俺の後からやってくる可能性もありえるからな。
「……ふう」
滑り台の支柱部分に背をもたれ掛け、一息つく。どちらかといえばマズい状況にも拘らず、自販機などを探そうとしている自分に大物の器を感じないこともない。
だが一本の缶コーヒーと引き換えに朝比奈さん(大)と入れ違いになるのは、どう考えてもたかが缶コーヒーには高すぎる代償であり、俺はおとなしく大物への成り上がりを放棄した。
一時間ほど待ち呆けただろうか。
「……来ねえ」
なぜだか解らんが、待ち人は一向に姿を現さない。
いや、そもそも俺の記憶には、本人から待っているといった内容の通信ログは残っていない。何しろ単なる俺の推測に過ぎん。
だとすればだ。じゃあ俺と朝比奈さんをこの公園に向かわせた理由ってのは一体何なんだ?
あそこの少女にこの地図でも見せれば、スタンプを押して次の目的地でも教えてくれるのだろうか。えらく懐かしいオリエンテーリングだなおい。適当に小銭でも掴ませてあの少女を仕込んだんじゃなかろうな。
ていうかあの子、さっきからずっとブランコに腰を落ち着かせっぱなしじゃないか。俺が朝比奈さん(大)を待ち続けた一時間ほどの間、ずっとだ。
これはちょっと気になる。いや、あの少女が仕込みかどうかという意味ではなく。
だが今の俺は朝比奈さん消失という難題で手一杯であり、このダウナーオーラ全開の少女に関わっている余裕などは無い。
俺は難題の解決に向けて、次はどういう手を打つかに思いを馳せていたつもりだったのだが、
「どうしたんだ? 母さんに閉め出されたりしたのか?」
気付いた時には、すでに話し掛けていた。
いいのか悪いのか俺のこの世話焼き性分は、確実に妹を通じて得た代物だろう。代物っつっても質屋に押し掛けたところで門前払いは免れない代物だ。逆に金は出すから家電リサイクル法の範疇として処分してもらえないだろうか。
「寒いだろ? いくら秋口とはいえ、もう日も落ちる時間だ。そんな薄着じゃ風邪引くぞ」
見れば少女はけっこうな薄着である。ていうか真夏の格好だなこりゃ。
「……ぐすっ」
ずっと顔を俯けていたので気付かなかったが、どうやら少女は泣いていたようだ。やっぱり閉め出されたのか?
「……ううん、違うの」
「じゃあ、もう家に帰った方がいいと思うぞ」
「帰りたくない……」
まるで帰れと言われることを事前に知っていたかのような即答ぶりである。
とにかくこの少女は閉め出されたのではなく、自らの意志でこの公園に留まっているらしい。
「どうしてだ? ここにいても、その格好じゃ寒いだろうし、服を着るためにも家に帰った方がいいだろう?」
理由が親子喧嘩だとするなら、なおさら帰って仲直りするべきだろうと思うしな。
「家は、寒いから……」
家が寒い? おいおい、まさかただ単に物理的に服を買えないとか、そういう経済的な理由でその格好なんだとしたら、何かやたらと気分が滅入ってしまうじゃないか。
台所のゴミの四十パーセントが食べ残しというこの飽食大国日本で、不憫すぎるだろそれは。
「……違うの。服ならたくさん持ってる。お洋服専用の部屋もあるくらい。暖かくなれるけど、温かくはなれないの……」
一転して今度は金持ち宣言ときたもんだ。いや、それはいい。注目すべきはその次の言葉である。
アタタカクなれるがアタタカクはなれない?
はて、この少女は一体何を言わんとしているのか。これが正しい日本語なんだとすれば、俺はきっと日本人じゃなかったのかもしれない。それくらい意図を掴みかねる言葉だ。
「とにかくだ。家はここからすぐなんだろ? 俺も一緒に行ってやるからさ、もう帰ろう」
「すぐじゃないよ……」
遠いのか。ならプチ家出じゃないか。余計に帰った方がいい。
「……嫌」
風邪引くぞ。
「もう、一人でいいの……」
少女はそう言って一時間ほど保温状態だったブランコから立ち上がり、そのまま走り去っていく。
「おい、待……」
行ってしまった。家に帰ってくれたのならいいが……。
しかし、ゆとり教育が生み出した産物をむざむざ見せ付けられたというか、そんな絵に描いたような反抗期を体現した娘さんだな。あの子の親御さんもさぞかし世話が焼けることだろうよ。
いや、ていうかだな。
……俺は一体何をやってんだか。
危うく自分が直面している、ヒルベルトの23の問題の内の一つにも数えられそうな程の難題をさっぱり忘却してしまうところだった。
さて、気を取り直してこれからどうすべきか。
何としてでも俺の朝比奈さんを探し出さないことには、元の時間軸に戻れん。
ここで大きい朝比奈さんが駄目だとなると、やはりこの時代で頼れるのはどう考えてもあと一人しかいない。
今回ばかりは頼るまいと心に決めていたのだが、どうやらそうも言ってられないところまで来てしまった。
俺の知りうる限りでは、オフサイドラインを担う最後方ディフェンダーにして最強の守護神。
すまんな、長門。またお前に頼ることになりそうだ。
それにもしかすると、すでに長門の部屋に朝比奈さんがいる可能性だって否定はできないからな。
俺は地図を取り出して現在地からの最寄り駅を確認し、三年後より心持ち絡みづらい眼鏡付き有機アンドロイドの顔を思い出しながら、一路駅へと直行した。
先程まで停留していた地域は、俺の生活圏とさほど離れてはいなかったようで、長門のマンションには割かしあっけなく到着することができた。
すっかり手馴れた仕草で、俺は長門の部屋をコールする。
『…………』
「あー、俺だ。解るか?」
『…………』
「えー、そこの和室で寝かせてもらっている者だ。そいつより、もうちょい未来から来た」
『入って』
こうして俺は三年前の長門と何ヶ月ぶりかの再会を果たした。俺の時間でもここの時間でも何ヶ月ぶりという言い方で合ってるってのが手っ取り早くていい。
「どうだ、最近。元気にやってるか」
俺の長門と比べてますます無反応なこちらの長門が、急須と湯呑みを乗せたお盆をカチャカチャいわせながらコタツテーブルへとやってくる。
長門は俺の質問を受けて一瞥をくれるが、すぐまた視線を戻し俺の対面側で正座を始めた。
「すまないな、長門。またお前に頼っちまって」
「いい」
眼鏡に反射する蛍光灯の光が、よりこいつの機械的というか何というか、そういう部分を引き立てている。
そういやさっき自分でも言ったが、このふすまを隔てた向こうには、もう一人の俺と朝比奈さんが揃って爆睡してるんだっけ。マジックで顔にいたずら書きとかしたら怒られるだろうか。
「それは推奨できない」
いやいや、冗談に決まってるだろ。そもそもこのふすま、今は開かないんじゃなかったか?
まあいい。ともかく今は冗談で時間を潰している場合ではない。まずはあの可愛らしい上級生を探し当てることに全神経を注ぐのみだ。
「なあ、俺は今回も朝比奈さんと一緒にここへ時間遡行したんだ。朝比奈さんってのは解るか? そこで俺の隣で眠ってる人だ」
俺がそう言ってふすまの方を指差すと、長門は僅かにうなずく。
「そうか。その朝比奈さんなんだが、消えたのか失踪したのか、どうにも途中で居なくなっちまったんだ。何とか探し出せないか?」
長門は四、五秒ほど瞬きもせずジッとこちらを見つめ、
「消失時の状況を説明してほしい」
「わかった」
俺はできうる限り詳しく、あの暴走車突撃シーンの筋書きを懇々と語った。
とはいえあれは一瞬の出来事であり、細部まで余すところ無く説明したところで、さほど時間は掛からなかった。
「どうだ。何か解らないか?」
俺は説明を終え、期待の視線を長門に送る。
「…………」
解らないのか。
「わたしの推測でよければ」
ああ、十分だ。お前の推測は、俺の絶対的な確信の数百倍も信用するに足りる。
「彼女、隣の部屋で凍結中の彼女の異時間同位体は、まだこの時空に居る。ただし場所の特定は不可能」
よかった。とりあえず無事ってことでいいんだな?
「存在が確認できるだけ。ここからはわたしの推測になる。彼女が姿を眩ましたのは、恐らく自身の意志ではない」
「どうしてそう思うんだ?」
「簡単。彼女の運動能力で、その一瞬での移動は不可能」
久々に解りやすい説明だ長門。確かに言われてみりゃ、俊敏に動く朝比奈さんなんて出鱈目に想像外だ。
となると、やはり誰かの仕業というわけか。どいつだまったく、俺の朝比奈さんに不埒を働きやがるA級戦犯野郎は。
今すぐにでもここを飛び出して朝比奈さん探索に没頭したいところだが、いかんせんもう外は暗闇真っ只中だ。
ならば今日は早めの就寝を心掛けて、明日に早起きして活動した方が効率は良さそうだ。
「すまんが長門、今日ここに泊めてもらってもいいか?」
「構わない」
即答してくれる長門にひたすら感謝である。
「恩に着るよ。ほんとお前には世話になりっぱなしだな」
「いい」
グーとパーの中間くらいの拳を作って指の背で眼鏡の位置を直しつつ、長門は小さく呟いた。
気付けば晩飯時な時刻を短針が指していたので、俺と長門は毎度お馴染みのレトルトカレーで簡単な晩飯を済ませる。相変わらずの山盛り具合だったので、もう腹十二分目くらいだ。
そしていよいよ就寝かと思われた夜もたけなわ、ここで俺的にはちょっとした問題が浮き彫りになった。
殺風景なリビングでくつろいでいる俺に、長門が布団を抱えて持ってきてくれた。それはいい。
だが俺がそのままリビングに布団を敷き、ちょうど横になった時、
「……長門」
「なに」
なにってお前。
「なんでお前までここに布団敷いてんだ」
「いつも寝ているのはここ」
いやいやちょっと待て。
いくら相手が長門といえども、年頃の男女が一つ屋根の下はおろか一つ部屋の中で寝んごろなんてのは、特定の意味でまずい。
「問題ない。気にしないで」
いやいや、俺が大いに気にするんだが。
「大丈夫。何もしない」
何もしないってお前、意味わかって言ってんのかそれ。ていうか、ふつう俺が言う台詞だろ。
「そう?」
長門がそう言って首をほんの僅か傾けたのもつかの間、そのまま流れるように布団に入ってしまった。
俺が移動しようかとも思ったが、やっぱり何だかちょっと惜しい気もする。いや別に長門をどうこうしようというわけでは断じてないぞ。
俺は誰にしているともつかない言い訳を頭の中で反芻させつつも、結局長門の傍で寝ることを決めた。
ちらっと横に視線をやってみるが、野比家の末裔かもしれない長門の寝つきっぷりは見事なもので、すでに寝息を立てて夢心地のようである。
こうして寝顔だけを眺めている分には、こいつがナイフを素手で捌くような奴だとは思えないよな。
アナログシンセサイザーのたゆたうような響きにも似たその神秘的な寝息を子守唄にし、俺は瞼を閉じて間もなく、いつの間にか眠りについていた。
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