タイムトラベルという現実とはほとほと掛け離れているはずの物も、今の俺にしてみれば三親等ほどの親密さで 定期的に顔を合わせる程にまで近しい物になりつつある。
 まったくもって非現実的も甚だしい話だが、これに嘘偽りなどは雀の涙ほどもありはせず、いつしか俺はそんな 非日常を楽しいと感じる程にまで深く受け入れていた。
 そんな俺にとっても、一般的常識範囲内での時間的イベントというものは存外、楽しいもんであり、何だか心和む ものでもある。
 もしかしたら何処かで、未来の自分に向けて並々ならぬ期待や希望をペンに込め、便箋にはみ出さんばかりの 叱咤激励メッセージを書き上げている人々、あるいは地中浅くに埋められたそんなメッセージを掘り返し取り出し 堪能しているさなかの人々が、今も現在進行形で居るのかも知れない。
 つまり、千言万語な説明に至ったが、ほれ、あれだ。
 タイムカプセル。
 冗談にも尋常とは言い難い三半規管への負荷を耐え忍ばなければならないような事もなく、加えて、三年間寝た きりじじいになる必要性もこれといって見当たらない健全たるイベントだ。
 つまるところ、全一般人に対し平等に参加資格が降り注ぐ時間的イベントという訳である。
 今回の話において、それがさほど重要な事柄という訳ではない。ないが、それが今回のスタート地点である為、今 しがた述べた前置きを妥当だと主張したところで、そうそうブーイングは起こるまい。
 そして、そんなことをしようと言い出しそうな奴は俺の周りでは一人以外いるはずがなく、その一人というのは もちろん、我らが団長、涼宮ハルヒその人である。



「あんた手ぶらみたいだけど、まさか何も入れないなんてことはないわよね。ほんとにそうだったら、タイム カプセルと一緒にあんたも仲良く、有機栄養素たっぷりの地中に冬眠させてあげるから」
 ハルヒが俺の鼻の数センチ近くまで指を伸ばして俺を差し、宣言した。
「安心しろ。大人になったお前があまりの感動の涙で鶴屋山に液状化現象が発生するほどの物を埋めといてやる」
「……ふーん。ま、楽しみにしといてあげる。開ける時のね。どうでもいいけどあんた、液状化現象の意味間違って るわよ」
 ほっといてくれ。

 俺は今SOS団正式メンバーと共に、ご開帳が何年後かすらも決められていないタイムカプセルを埋めるという、 いかにもハルヒが考えそうな提案を遂行すべく、鶴屋さんの所有地であるところの、山と言うには低く、丘と言う には高いあの山を登山中である。
 そう、朝比奈さん(大)のおつかいやバレンタインの為に、さんざん往復させられた忌まわしき地だ。
 もちろん、ハルヒは俺がバレンタイン時以外にここを訪れたことなど知る由もなく、俺より往復回数が少ない 為かピクニック気分で満面の笑顔と共に軽快なステップを踏んでいる。
 
 さて、先ほど口から出た「SOS団"正式"メンバー」という言い方についてだが、これにはちょっとした理由が ある。
 ここら一帯が鶴屋さんの所有地である手前、使用の許可を得るついでに鶴屋さんにも誘いを入れてみたところ 快く承諾、つまりSOS団の輪の中に組み込まれる事になった。だが、直前になって何やら急用が出来たらしく、 急遽キャンセルする旨を鶴屋さんは名残惜しそうに俺たちに伝えるということになった訳だ。
「残念無念っ。キミたち、適当に埋めといてくれっかなっ!」
 というわけで、プレゼンティッド・バイ・鶴屋をハルヒが受け取り、俺たちが持参した物と共にそれも埋めること となった。この場合の「プレゼント」は発表を意味するもんだったか? まあ、どっちでもいい。
 俺は若者たちの言葉の乱れについて思慮を巡らせつつ、前を行くとんだトラブルメイカーの後ろ姿を眺めながら 重い足を引きずっていた。

「朝比奈さんは何を入れるんですか?」
 俺は重い足が多少なりとも軽くならないかと、神々しさ溢れる地上の天使に話し掛けてみた。
「わたしはですねー。このお手紙と、あと……え、えーと。あああとは女の子の秘密ですっ」
 朝比奈さんは人差し指を唇に当て、それはそれは意味深なことをおっしゃった。
 何やら思考が官能的な方向にシフトしてしまったのは、少なからず俺だけではないはずだ。
「タイムカプセルというのは、そういうものですよ。僕もこれ以外の物は開ける時までみなさんには秘密です」
 古泉は一枚の紙切れを片手に持ち、ヒラヒラとさせている。
 何かやけに黒丸の目立つ紙だな。パンダの模写か何かか?
「解ってたけど、バカじゃないのあんた? 何でタイムカプセルにそんなもん入れるのよ。画家志望の幼稚園児 だって、もっとマシなもん入れるわよ」
 もっとも幼稚園児がパンダの模写なら、十分に妥当な線だと思うんだが。
 それはとにかく、今の議題は曲がりなりにも一介の高校生として営んでいる古泉についてだ。
「これは、これまでにあなたと対戦した数々のゲームの勝敗表ですよ。僕としては思い出深い物です。もう少し 白丸を増やしてからにしたかったのですが」
 古泉はいつものように肩を竦める。この仕草を見るのは、もうあまつさえ三桁にも上るのではないだろうか。
 それはともかく、安心しろ。これ以上そのパンダに白丸が増えるかどうかなんてことは、お前のゲームの腕を 考慮すればおのずと答えは見えてくる。今入れておいて正解だ。
「あなたの"やれやれ"も三桁ほど耳にしているように思えますけどね」
 ここは懸命にスルーして、俺は長門の傍に並んで立った。
「長門、お前も何を入れるのかは教えてくれないのか?」
「教えない」
 長門は、両手で大事そうに持っている立方体の小箱をカタカタといわせている。非常にシュールな光景だ。
「まさか、本だとかいう誰しもが考えそうな物じゃないだろうな……」
「……そう」
 こいつにしてみれば未来の自分なんてもんは、「わたしの異時間同位体」以外、何の感慨も持たないのだろうか。
 だとしてもだな、もうちょっと捻った物でもよかっただろうに。
 長門らしいっちゃあ長門らしいのかもしれんが。
「でも安心して。本以外の物も入れてある。楽しみにしておいて」
 そうか。そりゃ楽しみだ。
 だが、まさかと思い一応言ってみることにする。
「まさか、大量の栞だとかいう……」
「正解」
 偏頭痛が襲った。
「まだ入れてある物はある。楽しみにしておいて」
 わかった。もう何も訊くまい。
 俺は傍から見れば小旅行に行くのかと思われそうな大きさのバッグを肩に掛け、手ぶらのハルヒの方に目を やった。俺が渋々と抱えているのは言うまでもなく、そう、ハルヒが持参したバッグだ。
 やれやれ、まったく。こんなに大量に何を埋めるつもりなんだか。
「で、ハルヒ。このバッグには何が入ってるんだ?」
 だが、いかんせんこの流れだと、ハルヒも俺に教えるつもりは毛頭ないのだろう。
 わざわざ罵倒を浴びせられる為に訊くのもどうかと思ったが、つい口が滑ってしまった。
「この流れで本当に教えてもらえるとでも思ったんなら、あんたの脳はもうミジンコ以下よ。いえ、虫に例えるのも おこがましいわ。植物よ。トールフェスクだわ」
 どうやら俺は、ハルヒにとって牧草と同等の存在らしい。せめて動物にしてくれ。そうだな、甲殻類ならお前の 蹴りから身を守れそうだ。
「ま、それでもいいわね。あんたは蟹ってことにしといてあげる」
 何だかやたらと楽しそうに言うハルヒ。そんな風に言われると、蟹でもいいと思ってしまう自分が恐ろしい。
 何というか、最近はこいつが無意味に高いワット数の蛍光灯のごとく楽しそうにしているのを見ると、まあ余計 な口出しはしないでおくかな、なんて思ってしまったりするのは、俺だけの秘密だ。
 こいつのあり余るエネルギーの根源は、やっぱりあのとんでもパワーにも関係してるのかね。
 
 そう、とんでもパワー。ハルヒの能力。
 今回の話の発端は一週間前に遡る。
 その時のことを少し語ろう。
 







 一週間前。昼休み。
 俺は先日、長門の数あるブックコレクションの中から俺程度の脳でも理解可能であろう物を見繕ってもらい、 珍しくも読書という俺らしからぬ行為に没頭していた。
 ようやく読破まで漕ぎつけ、俺は長門が普段読んでいるものと比べ三分の一ほどの厚さの文庫本を閉じる。
 いい具合にちょうど昼休みだ。返しにいくか。昼休みなら、まず部室にいるだろうしな。
 別に放課後にまた部室で会うことになるし、取り入って今返さないといけない訳でもないのだが、たまには部室で 悠々と昼休みを過ごすのも悪くはないだろうと思い、一路旧館を目指し教室を出た。
 
 コンコン。
 いつものように軽くノックをする。
 だが、しかし、
「どうぞ」
 三点リーダではない、俺の予想に反した答えが返ってきた。
 その声には聞き覚えがあり、事件の匂いをプンプンさせる声なのだが、ここで引き返すのは流石にあれなので 俺は扉を開けることにした。
「久しぶり……でもないかな」 
「そうですね」
 窓際の見慣れた団長席のすぐ後ろに、見慣れつつあるOLルックの朝比奈さん(大)が凛と立っていた。
「なんだかんだ言って、けっこう会ってるね。わたしたち」
 何だか友達以上恋人未満的な関係にあるかのような台詞だ。
「ですね。実際、まだ二桁を数えるほども会ってないってのに、俺もしょっちゅう会ってる気がしますよ」
「わたしは毎回、キョンくんに会えるの嬉しいわよ。ふふっ。可愛いし」
 朝比奈さん(大)は微妙に照れたような仕草を見せる。
 いえいえ、例えそこに長門の保障があったとしても、誓ってあなたの方が可愛いでしょう。そこは譲れません。
「長門にはまた席を外してもらったんですか?」
 俺は無表情な美白宇宙人の顔を思い出しながら訊く。
「いえ、今日は最初から居なかったわ。わたしがいるのに気付いて、来なかったのかもしれないわね。なんか悪い ことしちゃったかな」
 朝比奈さん(大)は人差し指を頬に当て、少し上を向いて言う。普通ならブリッコ極まりない仕草だが、この朝比奈 さん(大)の場合は、例えばハルヒがK−1に出場するくらいさまになっているのだからたいしたもんだ。
「で、今回は俺に何をさせるつもりですか?」
 俺は早々に本題に入ろうとした。
「なんだか、ちょっと冷たい言い方だなあ……」
 最近、俺はどうもこの朝比奈さん(大)に対して微少の猜疑心を抱いてしまう。態度に出すつもりは毛頭なかった のだが、どうやら無意識の内に出てしまったようだ。ミスった。
「あのね、今回はキョンくんに何か仕事をしてもらうってわけじゃないの。……いや、もしかしたら、してもらう っていうか、することになっちゃうかもしれないんだけど……」
 後半になるにつれ、徐々に声が小さくなるデクレッシェンドで朝比奈さん(大)は呟く。
「じゃあ、またヒントとかそういうのですか?」
「そうね。そんな感じかな。あのね、よく聞いてね……」
 朝比奈さん(大)はスッと軽く息を吸い込み、

「今日から二週間後の午後七時十五分、涼宮さんの力は封印されます」

 俺の目を真っ直ぐに見据え、朝比奈さん(大)は宣告した。

 え? 何だって?
 封印とか何とかって。俺の聞き間違いでなければ、確かにそう言ったはずだ。
 マジかよ。なんてこった。
 あろうことかハルヒのとんでもパワーが消えるとは。お前もめでたく俺と同じ一般人の仲間入りだなハルヒ。
 ん? いや、まて、今"封印"って言ったよな?
 消滅ではなく封印。
 誰かの仕業ってことなのか?
「涼宮さん自身の無意識によって、力が封印されるの。そこには誰の介入もないわ」
「そうですか……。ハルヒの力が弱まっているとは聞いていましたが……」
 以前、古泉が言っていたことを思い出す。
「うん、でもね、封印だから消えちゃうわけじゃないの。もしかしたら何らかのきっかけで、また力が解放される こともありえるの」
「てことは、一時的なものなんですか?」
 朝比奈さん(大)はふるふると顔を横に振りながら、
「ううん。よほどのことがない限り、もうずっと封印されたままになるわ」
 ……いや、何というか。もちろん、世界が安定するわけであり、それは喜ばしいことに相違ないのだが。
「うーん。なんだかあまり驚かないのね」 
「いや、十分驚きましたよ。……でも、何というか」 
 そう、喜ばしいことには違いないのだが……。
 この非日常的な日常を楽しいなどと、曲がりなりにも俺の脳がそう判断しているのはもうすでに認めている。
 そんな俺にとっては、やはり、そうだな。ちょっとは寂しいと思うもんさ。
「わかりました。で、何が起こるんですか?」
 おそらく、これは禁則事項とやらに該当するだろうと思いつつも一応訊いてみた。
「ごめんなさい。詳しくは言えないの」 
 朝比奈さん(大)は少し顔を俯けて言う。予想通りの答えだ。
「あのね、二週間後までに、あなたやSOS団にとって大きな分岐点が訪れるの。その分岐方向によっては、あなた は涼宮さんの力が封印される日を絶対に忘れちゃダメなの」
 絶対に、ですか。つまり俺にとっては、とんでもなく壮大な厄介事になると思って差し支えないですね?
 忘れちゃってもいいでしょうか、なんてことを俺が言えるはずもなく、
 朝比奈さん(大)は、あとね、と付け加えて、
「これは、キョンくんだけの胸に仕舞っておいて欲しいの。他言は厳禁。ほんとはね、キョンくんにもこの事を 伝えるのは許されなかったの。今言った分岐点っていうのは、わたしのいる未来全体にとっては全然重要ではない こと。そういうことをむやみに過去に教えるのは禁止されてるの。ううん、もちろんこの時代のわたしにとっては 重要よ。あなたやSOS団にとってはとても重要なこと。だから、どうしても伝えたかったの」
 ぐっと手に力を入れて、俺に熱弁する。
 正直、さっきまで猜疑心オーラ全開でしたなんて、とても言えたもんじゃない。すいません朝比奈さん(大)。
 俺は軽い自己嫌悪に陥りつつも、朝比奈さん(大)の言葉に耳を傾け続ける。
「キョンくんに伝える許可を取るために、すっごくがんばったんだから。なんとか、キョンくん以外には知られない ようにするって条件で許可してもらったの。だから、他の人に言っちゃダメだからね」
 と言いつつ、両朝比奈さん十八番のウィンクが飛んできた。稀に見る直撃してしまいたい類の遠距離攻撃。
「わかりました。絶対に言いません」
「ありがとう。頑張ってね、キョンくん」
 いつものことです。何とか頑張ってみましょう。結果は保証しかねますが。
「……ちょうどタイムリミットだわ。じゃあ、そろそろ帰るわね。じゃあね、キョンくん」 
 長い髪をふわっとなびかせて後ろを振り向き、朝比奈さん(大)は扉に手をかける。
「あ、ちょっと待って下さい。ヒントは……」
 危うくも大事なことを聞きそびれるところだった。
 そう、これを訊いておくかおかないかで、致命的な状況を打開できる可能性が大きく変わる。
「そうねえ……。ふふ、もうすでに言ってあるはずよ」
「……え?」
「じゃあ、もう行くわね」
 俺に訊き直す間も持たせず、朝比奈さん(大)は言うが否や颯爽と部室を出て行った。

 すでに言ってある?
 そこまで注意して聞いてないですよ朝比奈さん(大)。ボイスレコーダーでも用意すべきだったかもしれん。
 まあ、解らないものは仕方がない。案外、その時になって追い詰められると、ふと閃いたりするもんだ。
 だが悲しきかな、俺の脳が一休さんの数十分の一ほどのスペックだという事実は、俺自身がよく理解している。
 そんな俺の低脳さを悲観しつつも、俺はまだこの時は楽観的に考えていた。
 俺の予想を遥かに上回る事態に陥るなど、思いもせずに。
 
 これを言うのは二回目になる。だが、もう一度言っておく。
 
 それは、俺にはちっとも笑えないことだった。
 








 朝比奈さんの宣告から一週間後。
 つまり、現在。
 話を元に戻すことになる。

 俺たちの登山はようやく終盤を迎えようとしていた。
 俺がピラミッド建設の為にどでかい石を運ばされる奴隷の気分で、バッグを持ちながら重々と足を動かしている のとは対照的に、そのまま自転車に乗せれば空を飛んでしまうのではないかというほど軽快にスキップをしている ハルヒが、
「見えたわ。確かあの石だったわね」
 ようやく目的地が視界に入る。そう、俺がせっせと西方向へ三メートル動かしたあの石の場所だ。
 ハルヒが、いの一番に到着。言うまでもない。生粋の体力に加え、なんせ手ぶらだ。
 そしてハルヒに数十秒ほど遅れ、俺もようやく鶴屋山の制覇を果たす。
「前よりも数倍遠かったような気がするぜ。……ああ、このバッグか。この重いバッグなんだな。違いねえ」
「……あんた、この数十分の間で、何かすんごく性格が曲がったような気がするわ」
 ハルヒは、蔑みを含んだ哀れみの目を俺に向けてくる。それこそ谷口を見るに同等の目だ。
「マジで重いぞ、このバッグ。何の修行だ。SOS団が運動部になった覚えはないんだが」
「何よ、使えないわね。それに、SOS団が"運動部"なんていうちゃちな枠で括られるわけないじゃないの」
 そりゃそうだ。こんな怪しげな団体が部として認められようもんなら、まず俺は早急に生徒会連中や教師たちの 思考回路を疑わねばなるまい。
「とりあえず、マジで疲れた。ちょっとばかし休憩を挟んでくれ」
「……もう、しょうがないわね、まったく。じゃああんたは三分休憩。さ、みんな埋めるわよ」
 聞いたか? 三分て。俺といわゆる馬車馬の気持ちが今、一つになった。感動の瞬間ってやつだ。 
「どこに埋めるべきですかね? やはり、この石の下が最も適当でしょうか」
 古泉が、石に手を掛けながらハルヒに言う。
「そうねえ……」
 それを聞いてハルヒは、直線で二メートルほどの距離を行ったり来たりしながら考えている。
 何かぶつぶつ言いながら、しばらくそうしていたが、
「そこに埋めたら、時間を待たずに誰かが勝手に開ける可能性も考えられるわね」
 と言って俺の方を見てきた。
 しねえよ。
「そう? あんた、さっきみんなに持ってきた物をしきりに訊いてたじゃないの。十分に疑う余地はあるわね」
「わざわざ一人でこんなとこまで足を運んで、そんなめんどくさいことするかっての」
 もちろん俺は否定。当然だ。
「……うーん、有希なら大丈夫ね」
 聞いてないですか、そうですか。で、長門がどうしたって?
「有希なら確実に信用できるわ。ねえ有希、あたしたちにわからない場所に埋めてきてくれない?」
 長門はハルヒが言い終わるやすぐに、自分の足元に置いた小箱を再び手にする。

「お前、そんなに俺が信用ならんのか」
 心外にも程がある。
「まあ、そうね。あと、あたしが我慢できずに開けてしまいそうだからよ。だってそうでしょ? 基本的に数十年よ 数十年。そんなの待てる方がおかしいに決まってるわ」
 アホか。じゃあ何でタイムカプセルを埋めようなどと思い立ったのか、その経過が知りたい。
「彦星と織姫でも待たせられるのは十六年よ? それを地球上内の内輪で、自分たちで勝手に何十年とか意味わかん ないわ」
「お前が言っていることの方が、さっぱり意味がわからん」
「別にあんたに分かってもらおうなんてミジンコほども思ってないわよ」
「……やれやれ、そうかい」
 埒が明かないので、俺は会話に終止符を打つべく、もうお馴染みとなったお決まりの台詞を言ってやった。
 ハルヒは、ふん、と横を向き、古泉はこちらを向き肩を竦めて見せる。この辺もお決まりだな。
「まあ、有希一人にさせるってのは冗談よ。穴掘りはあんたと古泉くんの仕事だからね」
 ハルヒはそう言いながら、俺と古泉を交互に指差す。
「もちろん、僕はそのつもりで来ましたからね」
 古泉はすでにスコップを肩に抱えてやる気まんまんな態度を示しつつ、あろうことかヘルメットまで被っている。
 ヘルメットて。
「よう、元気か」
「元気ですが……いきなり、どうしたんでしょう?」
「昨日、悪夢を見て全然寝れなかったとか、そういうことはなかったか?」
「……特にありませんが。いったいどうしたんです?」
「そうかい」
 クライマックスに差し掛かる。
「古泉」
「なんでしょう?」
 ヘルメットの被り際から見せる前髪を微妙にかき上げる古泉に、俺は言ってやった。
「似合ってるぞ」
「…………」
「…………」
「……恐縮です」
 俺は今言ったことに対し、そこはかとない後悔を感じつつ、他の連中に聞かれてないだろうかと一抹の不安を 抱いていた。
 だが、それに関しては嬉しくも杞憂に終わったようで、
「あ、長門さん。あれ? てて手が……すごく汚れてますぅ……」
 朝比奈さんが、どこかから戻ってきた長門を見つけた。
 おい、ちょっとまて、あいつマジで一人で埋めてきたのか……。しかも素手で。
「終わった」
 自らの手の汚れなど全く気にする様子もなく、淡々と長門は任務完了を告げる。
「……え? 終わったって、有希、あなたほんとに一人で全部埋めてきたの?」
 長門は視線のみで頷くという器用なことをやってのけ、そのあと俺の方に視線を送ってきた。
 たぶん、これでよかったのか、という確認だろう。俺は微妙に顔を引きつらせながらも、肯定の意味を込め、 頷いて見せた。
「そ、そう。……悪いわね、なんだか有希一人にやらせちゃって。それにしても、人間業とは思えない早さだわ。 さすが有希ね!」
 文字どおり人間ではないからな。しかし、ハルヒはそんなことは全く気にしていない様子で、言葉を続ける。
「でも、これでほんとに、どこに埋めたのか有希以外は誰もわからないわね。願ってもないことだわ」
 ハルヒは非常に満足そうに、腰に手を当てうんうんと頷いていた。
 
 兎にも角にも、こうして目的を果たした俺たちSOS団一行は、ハルヒを先頭に鶴屋山を下山、そこで解散という ことになった。
 俺は行きの修行の後遺症で満身創痍であり、残体力が我が家に辿り着くまでの必要最小限分を満たしているのか さえも疑問に感じつつ、なんとか一路自宅を目指していた。明日は筋肉痛だな。



 明けて翌日。
 俺は予想通りの筋肉痛に苛まれることになり、まず最初の試練である日課の早朝強制ハイキングコースに対し、 普段の数倍であろう悲鳴を上げざるを得なかった。
 そんな情けない我が足腰の弱さに失望しつつ、この歳にもなって格闘漫画の主人公の強さに心底憧れを抱いて いたさなか、
「よっ、キョン。どうした? なんか歩き方がぎこちないぜ」
 それこそお世辞にも綺麗とは言えない歩き方で、谷口が声をかけてきた。
「残念だが、今の俺にお前の相手をしている余裕はない。この坂を登り切ることに全身全霊をかけねばならん」
「なんだなんだ。捻挫でもやっちまったのか?」
 谷口はそう言って、俺の足首を覗き込む。蹴りを入れるにはちょうどいい位置だ。
「……いや、筋肉痛だ」
「ぶわっはっは! なんだそりゃ、心配して損したじゃねーか。どーせ涼宮にこき使われた結果ってとこで当たらず も遠からずだろ?」
 もっとも、間違ってはいないのだが、何故かこいつに言われると無性に腹が立つ。
 俺は無視を決め込み、坂を登るという行為に集中することにした。
 そうすると谷口は、
「ったく、仕方ねえな」
 と言いつつ、あろうことか俺に肩を貸してきた。
「お、悪いな」
 なんだ、けっこういいとこあるじゃないか谷口。見直したぞ。
「これで貸しを作っちまったなあ、キョン。後日を楽しみにしてるぜ」
 前言撤回。

 こうして、谷口との悲劇とも喜劇ともつかない寸劇を繰り広げつつも、なんとか学校へ到着。だが、一時限目が 体育だという事実を国木田に知らされ、俺は再び暗澹たる気分に駆られずにはいられなかった。そういえばそう だったな。
 地獄の体育を半マネキンと化したスモールフォワードとしてチームメイトの非難を浴びつつも、なんとか乗り 切り、あとの授業は適当に聞き流して早くも放課後に突入。短縮授業バンザイ。
 そしていつものように俺は、この世の天使が淹れるお茶を啜るべく、部室へと足を運んでいた。
 
 コンコン。
「どうぞ。開いていますよ」
 まったくもって聞きたいとも思わない声が鼓膜に響く。
 だがじっとしていても始まらないので、俺は仕方なしに扉を開ける。
「なんだ、朝比奈さんはまだか」
 まだ部室には、ニヤケ古泉とハードカバリスト長門の二人の姿しか見当たらない。
「朝比奈さんは確か、昨日の帰り際に、明日は日直だと言っていたように思いますね。おや、もしかして涼宮さんも ですか?」
「いや、あいつは掃除当番だ」
「なるほど。では、ここへの到着は涼宮さんが最後になりそうですね」
 俺は仕方なしに自分でお茶を淹れるべく、鞄を置いて湯呑みを取りに行く。
「古泉、お前も飲むか?」
 大サービスだ。泣いて感謝するがいい。
「おや、淹れて下さるのですか? 恐縮です」
「長門も飲むか?」
 長門は顔を上げこちらに視線をやり、またすぐに俯き活字の海に視線を泳がせる。今のはYESだな。
 俺は三人分のお茶を淹れ、各々に配り終えると、お茶を啜りながらしばらくぼーっとしていた。
 ああ、至福だ。
 これでお茶が朝比奈さん製なら、ここがこの世の天国だと言われようが俺はなんら疑問を持たないことだろう。
「どうやら、少しお疲れのようですね」
 古泉は、いつもより少しだけニヤケ加減を抑えた感じで言う。
「まあ、足だけだ。足以外は全くなんともない」
 
 パタン
 
 俺が言い終えてすぐだ。
 その時聞こえたのは、いつもなら下校時間前後に耳にするものであり、俺たちはそれを合図に一日の活動を終える ことになる。
 そう、つまり長門が本を閉じる音だ。早すぎる。
「ん? どうした長門?」
 今まで一度たりとも、そういう事がなかったという訳ではない。
 だが俺はその時、何か長門に妙な違和感を感じずにはいられなかった。
「図書室」
 長門はそう言って席を立つ。
 俺はとっさに、
「お、俺も一緒に行っていいか? こないだお前に借りた本読んでから、読書も悪くないと思い始めてな」
 まず長門について行く口実を発した。
「おやおや、では僕もご一緒させてもらっていいですか? ここに一人で居るのも何ですしね」
 続けて古泉もついてくる意志を表明し、俺の方を見て微妙に頷く。どうやらこいつも違和感を感じたに違いない。
 長門は十秒ほど俺の目を見つめ、やがてゆっくりと目線を逸らし、
「……そう」
 くるり、と背を向け、足を進め始めた。俺と古泉もその後ろをついて行く。
 何だろう。雰囲気というかオーラというか、いつもの長門とは何か微妙に違う。だがそれはほんの僅かなことで、 俺たちのように毎日長門と接していなければ絶対に気付かない程度のものなのだが。
「お前も長門に何か違和感を感じたのか?」
「ええ。気のせいと言われれば、それで済まされるかもしれないほど僅かですが」
 長門を先頭に、俺と古泉が少し距離を置いてついて行く。
 先頭の長門が階段に差し掛かろうとしたその時、長門の足が止まった。嫌な予感がする。
 俺と古泉も長門に並び、階段の下側の踊り場が視界に入る。
 俺の視線はそこに存在する人影を捉え、俺は思わず顔を歪めた。
 そこには、できればもう一生会いたくない奴の姿があった。

「よう。不本意だがまたあんたに会わないといけなかったんでな」
 ネガティブな感情を顔に浮かべ、朝比奈さんを誘拐するという許すまじ行為に及んだ下衆野郎。
 あの第二の未来野郎がそこにいた。
「何の用だ」
 俺は精一杯の凄みを効かせて言い放つ。だがこいつはそれを軽く受け流し、
「ふ。今日は別に誰かをさらったりなんぞしないから安心しろ。大した用事じゃない。僕にとって規定事項と いう訳でもない。今さっき、会わないと"いけなかった"と言ったのは言葉のあやとでも思っておけ」
「なら今すぐ消えろ。できればお前とは一生顔を合わせたくない」
 これから先、またこの野郎と対峙する機会が来るであろう予感は、なんとなくしてはいるが。
「ほう、あなたが朝比奈さんを誘拐した張本人ですか。僕とは……初めまして、でよかったですかね?」
 ここで古泉が割り込んでくる。
「ああ、間違ってはいない。あんたが副団長さんとやらか。確か……」
「古泉一樹です。以後、お見知り置きを」
「ああ、そうだった。調べてはいたんだが、名前なんぞいちいち覚えてなくてな」
 いちいち癪に障る言い方だ。
「消えろと言ってるだろう? 用がないんならとっとと帰れ」
 俺は殺意を込めた顔を保ったまま言い放つが、相変わらずこの野郎は全くこたえていない。
「ふん。人の話をよく聞くんだな。そう母親に教えられなかったか? 僕は大した用事じゃないとは言ったが、 用がないと言っていない」
「ほほう。それはどういった用件でしょう?」
 古泉はこんなムカつく野郎に対しても無意味な笑みを崩さない。だが、あの長門が改変した世界で初めて俺と 言葉を交わした時と同じだ。警戒心が現れている。
「用といってもお遊びみたいなもんさ。僕にとってはな」
 前にも言ってやったが、こんな回りくどく遠まわしな喋り方の人材は古泉一人で十分だ。
「では、手短に言ってやろう。そこの宇宙人が何やらおもしろいことになってるらしいのでな。忠告に来てやった だけだ」
「…………」
 宇宙人ってのは長門で間違いないよな? 何言ってんだ、こいつ?
 まあ、確かに長門はある意味おもしろい奴だ。認めよう。だがそれが解るのは、俺のように長門の表情が読める レベルにまで到達しているのが前提であり、あろうことか長門と初対面であるこの野郎に長門ワールドを理解 できる訳がない。ならば、こいつの皮肉的嘲笑的解釈だと捉えるのが妥当だろう。
 そんな俺と古泉の"?"な表情を目の当たりにし、この野郎は、
「ふ。やはり、あんたたちはまだ知らないのか。傑作だな」
 下衆な笑いじみた顔で俺たちを嘲った。
「……どういうことだ」
 俺は不本意ながらこの野郎に解答を求める。
「本人に聞くがいいさ。今日の遊びはこれで十分だ。僕の予定表に記されている以上に楽しかったよ」
 そう言うが否や、さっと後ろを向いて歩き始めようとした。
 またもや言いたいことだけ言って、早々に姿を消そうとしてやがる。何か言ってやろうと思うのだが、適当な 言葉が浮かばない。
 くそっ。何かないか。言われっぱなしってのはえらく癪だ。
 俺が言葉を選びあぐねていると、横から古泉が反撃の狼煙を上げた。

「あなたは、本当にこの為だけにここへ来たのですか? 何か別の任務があり、そのついでという訳ではなく」
 この野郎は立ち止まり、古泉の方を振り向き、
「ふん。だからどうした? 本当はもっと言ってやろうと思っていたんだがな。どうやら、禁則のようだ」
「なるほど。今のは非常に興味深い発言ですね」
「何がだ」
 明らかに苛ついている顔を古泉に向けている。だが古泉は一ミリも笑みを崩さず続ける。
「あなたの属する組織にも禁則事項というものが存在するあたり、時間遡行という物を軽率に捉えている訳では ないようですね。法律で定められている線も大いにありうるでしょうが。まあ、同じことです。よって、普通なら 時間遡行を実行するに至るまで、様々な審査や許可が必要になってくるのでしょう。朝比奈さんが実際そのよう ですしね。ですが、あなたはさほど意味もなさない用件の為に時間遡行をし、今僕たちの目の前にいる」
「……だからどうした」
 これは下衆野郎の言葉だ。
 だが、古泉の言わんとしていることはわかる。俺と朝比奈さんが最初にこいつに出くわした時も、こいつは それに対して遊びだという内容のことを仄めかしていた。
「お解りでないですか? なぜあなたがそのような行動を取ることができるのでしょうか。一つ考えられるのは、 あなたが高い権限を持っているということです。ですが、あなたの容姿を見る限りでは、僕たちとほぼ同年代と 考えて間違いないと思います。その年齢で高い権限を持つ役職に就くことはまず不可能でしょう。朝比奈さんや 僕のようにね。よって、この考えは却下です。そして、もう一つ考えられるのは、」
 古泉は、ここまで言って一つ息を整え、
「あなたに非常に近しい血縁者が、非常に高い権限を持っているということです」
 この言葉に、ネガティブ未来人がピクッと僅かに反応した。
「……ふん。だから、どうしたと言っているだろう?」
 おお、下衆野郎の勢いが微妙に失せている。いいぞ古泉。もっと言ってやれ。そして止めを刺してやれ。
 今に限っては百パーセントお前の味方となろう。
「率直に言わせてもらいますと、あなたの親御さんがそちらの世界では有名な方だということではないですか? 調べれば簡単にわかる程のね。正に親の七光りですよ」
 古泉の遠まわしな嫌味がこれほど清々しく感じる瞬間が来ようとは。人生、何があるかわかったもんじゃないな。
「言いたいことはそれだけか?」
「ええ。あくまで単なる僕の好奇心からの推測ですので、お気になさらず」
 古泉は、ニッコリ笑いながら手を胸の高さに上げ、掌をあの野郎に向けるジェスチャーをする。
「……ちっ。いけ好かん野郎だ。またあんたとも顔を合わせないといけないのは非常に不愉快だ」
「おやおや、そうですか。僕としては、同年代で一人称を"僕"と言う友人が皆無に等しいもので、親近感を抱いて いたのですが。いやはや、非常に残念です」
 ここで古泉のお決まり、肩を竦めるジェスチャーが炸裂する。
 国木田、お前の存在は俺の尊厳を賭けて証明してやるから安心しろ。たかが古泉に忘れ去られたくらいで気に するんじゃないぞ。
 いや、そもそも古泉にとって国木田とは友人というには浅すぎる関係だな。せいぜい知り合い程度が関の山と いったところだろう。
「……もういい。あんたの声を聞くのも我慢に耐えかねる」
 あの野郎はドライアイスを噛み砕いているかのように顔をしかめている。
「お前、これを言う為だけって、それを俺たちに言って何の意味がある?」
 タイミング的に今だと思い、俺は古泉の反撃のさなかにふと浮かんだ懸案をぶつけてみた。
「解らないか? 俺は決められた線をなぞるだけなのは嫌いだ。これは前回の顔合わせであんたに言った。つまり、 あんたたちにその宇宙人の現状を教えておいた方が、僕はおもしろい。それだけだ」
 何だかハルヒみたいな物言いだな。
「敵に塩を送る、というような解釈で問題ないでしょうか。いや、感謝しますよ。ご苦労様です」
「いちいち癪に障る言い方だ……。あんたはその喋り方をなんとかしろ」 
 そう言ってあの野郎は足早に俺たちの下を去っていった。
 いいザマだ。おととい来やがれってんだ。いや、本当に一昨日に来られても困りもんだが、俺には一昨日あいつに 会った記憶はないので、そこんとこは大丈夫だ。
 しかし古泉、よくやった。スカッとしたぜ。副団長の腕章が輝いているぞ。
「あなたからお褒めの言葉を頂くとは、恐縮です。腕章は着けていないですが」
 古泉は、自分の左腕の袖の付け根あたりを軽く引っ張る。
 やはり前にも思ったとおり、あの野郎の相手は古泉が担当だな。適材適所ってやつだ。

「しかし、どうやら只ならぬ事態になっているようですね。……長門さん」
 そうだった。
 あまりの爽快感に忘れそうになっていた。
 俺と古泉が感じた長門への違和感。それを裏付けるようなあの野郎の台詞。長門に何かが起こっているのは 間違いない。
「エラーが許容量を超えている」
 どういうことだ?
「わたしに蓄積されたエラーデータの量が、すでに限界値を超えている。わたしが異常動作を起こし、処分が検討 されたあの時以降からも、着実にエラーは蓄積され続けてきた。現在、わたしは非常に危険な状態にある」
 俺は、あの病室での長門との会話を思い出していた。情報統合思念体によって、長門の処分が検討されていた こと。長門にまともな性格を与えなかった情報統合思念体に対して、俺は心底腹を立てたこと。
「長門、俺はあの時言ったはずだ。くそったれだ。お前がいなくなるようなことがあれば、俺は暴れるとな」
 俺の言葉を聞いているのかいないのか、長門は淡々と話を続ける。
「今異常動作を起こせば、前回を上回る規模の時空改変になりかねない。そして、今のわたしはいつ異常動作を 起こしても不思議ではない。そう判断した情報統合思念体は、今度こそわたしの処分を実行しようとした。けど、 わたしは反対した。あなたが病室でわたしに言ってくれたこと、それを考慮して。結果、一つの条件と引き換え に、わたしの存続が決定された」
 どうはともあれ、長門が消されなくてよかった。安心したよ。で、
「それはどんな条件なんだ?」
 条件次第うんぬんで、結局俺は暴れることになるかもしれんぞ。
「異常動作を起こす直接的なトリガーとして、一番高度な危険性を持つのが情報操作能力の使用。その条件という のは……」
 ここで言葉を止めて三秒ほど俺を見つめ、瞬き。

「一定レベル以上の情報操作能力を、今後一切使用しないということ」

 正直、戸惑った。
 もう、これからは一切長門に頼れないことになる。どんな厄介事でも、長門の力を借りずに解決しなければ ならない。できるだろうか。いや、しなければならないのだ。
 だが、そんな気持ち半分、よかったという気持ちも半分ある。
 もう長門に辛い思いをさせずに済む。これからは、一女子高生、一文芸部員兼SOS団団員として、普通に高校 生活を送らせてやれる。俺たちがそうさせてやらなければならないんだ。

 ああ、やってやるさ。

 長門、今度は俺たちがお前を守る番だ。ゆっくり休んでくれよな。
 俺はもちろん、古泉や朝比奈さん、それにハルヒだって全力でお前を守ってくれるさ。そうだろう?
 古泉、雪山で異空間に閉じ込められた時に言ってた事、忘れたとは言わせないぜ。
「ええ、もちろんです。僕はそんな薄情な人間ではありませんよ」
「そういうことだ、長門。お前は何一つ心配しなくていい。今までの恩をたっぷりと返させてもらうからな」
 長門は、俺と古泉を五秒くらいずつ交互に見つめ、それを何度か繰り返す。瞬きの頻度が普段より少し高い気が した。
 きっと、長門なりのお礼なんだろうさ。
 

 結局、あのネガティブ野郎がロールプレイングゲームのモンスターの如く突如現れたおかげで、俺たちは思いの ほか大きなタイムロスを食らい、図書室に行きそびれた。そのまま部室へとんぼ返りである。
 古泉は、部室到着までの僅かな時間をも有効活用しようと思ったのか、
「長門さん。先程、"一定レベル以上"の能力は使用できないとおっしゃっていましたが、具体的に使用可能な能力 とはどういったものなんでしょう?」
 ハルヒの前ではタブーなやり取りをギリギリまで続けている。近いぞ、部室。
「情報統合思念体への記憶データの送受信。これができないと涼宮ハルヒの観察報告が不可能。あとは感知能力。
これはデフォルトの状態で無意識に作動している為」
「それだけですか?」
「そう」
 つまり簡単に言うと、第三者が目で見て取れるような魔法パワーは使えないって訳だな。割と厳しいシバリだ。
「長門、実際に力を使っちまうと、どうなるんだ?」
 続いて俺からの質問。
「わたしを構成する有機情報の連結解除プログラムが作動する」
「長門さん自身が消滅してしまうということですね……」
 縁起でもない。
「あの未来人が長門さんの状態を知っていたとなると、非常に危険ですね。今まで彼らにとって、僕たちの中で 一番脅威だったのは、もちろん長門さんだったに違いありません」
 そりゃそうだろう。ハルヒを除いた長門以外の俺たち三人と長門一人を比べても、スペックに天と地ほどの差が ある。
「問題なのは、そんな長門さんの状態を知って、長門さんを潰しに来るかどうかです」
 どうあっても避けたい事態だな。
「可能性は高いか?」
「どうでしょうか。そこまで大胆な行動に出るのかは疑問です。ですが、一度朝比奈さんを誘拐するという十分に 大胆と言える行動を起こしていますからね。何とも言えません。油断は禁物でしょう」

 ここらで部室に到着となった。
 中に入ると、すでにハルヒと朝比奈さんが部室で待機しており、
「何やってたのよ、あんたたち! 団長を置いて出掛けるなんて無礼千万よ! キョン、あんたはあたしとみくる ちゃんに今すぐジュース奢りなさい!」
 やれやれ、なんでまた俺だけなんだ。不公平な。
 今回に限らず、タイムロスの代償が常に現金なのは俺にとって規定事項なのか? 時は金なりとはよく言った もんだ。
「ぶつぶつ言ってないでさっさと買ってくる! わかってると思うけど、あたしは果汁百パーのやつね」
 はいはい。あ、朝比奈さんは何がいいです?
「……いつもすみません、キョンくん。えと、レモンティーでお願いします」
 あなたのご要望であれば何なりと。
「長門、お前も何か飲むか?」
 ついでだ。
「玄米茶」
 けっこう難しい注文だぞ、それ。
「申し訳ないです。僕はホットミル――」
「お前は自分で買え」
 むしろ長門の分はお前が出せ。
 俺の無情ともつかない返答を受け、古泉は得意のあのジェスチャーを出す。
 そんな古泉を微かに視界に写る程度に見つつ、俺は部室を出ようとしたのだが。
 そういえば俺、筋肉痛だったっけ。
 思い出したかのように、足の筋肉を構成する細胞達が痛み出し、俺の歩みを阻害する。
「あんた、何? その歩き方」
「うるせー、筋肉痛だ」
 笑いすぎだろ、ハルヒ。
 俺は痛みに構わず、とっとと部室を出ることにした。

 
 変わらない。
 いつもと何も変わらないSOS団の面々。雰囲気。部室の光景。
 長門が危機的な状態であることなど、微塵も感じさせないほどに。
 ずっと続けばいい。そう思う。
 そう願ってやまない。
 そして、すべてが終わった時、俺は今度はこう言ってやりたい。
  

 それは、俺にはとても笑えることだった、と。









 長門の衝撃告白から五日。
 俺たちSOS団は、特にこれといった事態に陥ることもなく、平々凡々と日々の生活を営んでいた。
 それが一般的に平々凡々なのかは定かでないが、どっかの暴走爆走女があたしらSOS団夜露死苦的な迷惑事を しでかすのを、SOS団にとって平々凡々と言うのは周知のとおり、事実である。
 だが、つい先日タイムカプセルという未来人朝比奈さんにしてみれば原始的極まりないであろう時間的イベント を敢行したおかげか、ハルヒの満足感は今だ持続中であり、突飛なことを言い出すにはまだ時期尚早のようで あった。

 
 俺は終業式という、ここぞとばかりに生徒各々の忍耐力を試すかような校長の長々しい話を聞き流しつつも、 明日から春休みという事実を目の当たりにしている為か、そんな長話も悪い気はしない。
 ハルヒはといえば、そんな長話を聞き流すどころか全く耳にもせず、ぐーすかと眠りこけっている。若いって いいな。
「おい、谷口。そこのナマケモノ女だが、涎を始め、できうる限りの乱れを整える努力をしてやれ」
 情けなくも、生物学上は一応女だ。
「はあ? そりゃお前の仕事だろうが。俺がそんなことをしてる最中に涼宮が目を覚ましてみろ。俺に明日は 来ないことになるぜ」
「まあねえ。キョンがしてあげても日常茶飯事って感じだし、おもしろくないからね。いいじゃん、谷口。して あげたら? もしかしたら涼宮さん、谷口に乗り換えるかもしれないよ」
 よほどの地獄耳で聞きつけたのか、数人を挟んだ前の方から、国木田が俺の企てに参加してきた。
 何から谷口に乗り換えるかはしらんが。
「国木田もこう言っていることだ。どうだ、谷口。男を上げるまたとないチャンスだぞ」
 こいつがアホだという俺の認識を信じて、さらに煽ってやる。
「うーん……」
 谷口は数秒ほど考え込み、
「って、いやいやいや。どう考えても無理に決まってんだろ!」
 惜しい。だが、一瞬でも迷った谷口はやはりアホだ。俺の認識は間違っていなかったようだ。
 国木田は、くくく、と笑いと噛み殺し、
「惜しかったね」
 ああ、実に。

 こうして、谷口のアホさ加減を再認識させられた終業式を終え、教室での短いHRの後、いよいよ春休みに突入と なった。
 いい加減、これを言うのにもそろそろ飽きてきたが、習慣とは誠に恐ろしいもので気が付けば文芸部室前に立って いるというあたかも夢遊病患者のような事態に俺は直面していた。
「何ぼーっとしてんのよ。春の陽気で脳みそが溶け始めたんじゃない? もともと少ない脳みそがこれ以上 減ったら無くなるわよ。とりあえず、早く扉開けなさい」
 俺の後から来たハルヒに突然、声をかけられた。
 気付かなかったな。マジでぼーっとしていたらしい。
 直立状態から一転、俺は電池を取り替えたばかりの玩具のように動き出し、扉を開けた。
「うーっす」
「みんな! 今日昼食の予定ある?」
 俺のやる気のない挨拶は、ハルヒによって見事にかき消された。
 今から春休みだというのに、律儀にもSOS団のメンツは全員揃っているようだ。
「僕はありません。昼食をどうするか迷っていたところです」
「そう。みくるちゃんは?」
「あ、わたしも大丈夫です」
「有――」
「ない」
 なんて暇な人間の集まりだ。多少なりとも青春というものを真剣に考えた方がいいぞ。
 ……まあ、俺もその内の一人なのは言うまでもないが。
「じゃあ、決定ね。久しぶりにみんなで昼食に行くわよ!」
 言うが否や、ハルヒは今しがた入ってきたばかりの部室を、ものの数十秒も経たないうちに出て行く。
「お前、とりあえず俺にも予定くらい訊けよ」
「あんたはどうせ予定なんてないでしょ。ないものを訊いたところで時間の無駄よ! 異議があるなら昼食後に 文章で提出してちょうだい」
 昼食後なら、もう異議も何もないと思うが。
 などと、今更もう反論する気にもなれず、俺は結局そのまま昼食会への参加を決定した。
 
 昼食は、市内不思議探索でお馴染みとなったあの喫茶店で取ることになった。意外と久し振りだ。
 俺はランチセットを注文し、料理の到着を待ちわびている傍で、ハルヒは先に到着した大盛りナポリタンを ずぞぞぞと啜りながら、
「今日はSOS団の活動は休みにするわ。ていうか、あたし四年振りくらいに、明日から帰省することになった のよ。今日は、ちょっとその準備とかしなきゃいけないし。まあ、準備って程の準備でもないんだけどね。買い 出しとか」
 甚だしく意外だ。
 何というか、俺はハルヒに対して、そういうファミリー的なイベントをするイメージを持ち合わせてなかった からな。
「で、その買い出しがけっこうな量になりそうなのよ。というわけで」
 ハルヒは、俺の方を向いて俺を指差し、
「雑用係キョン! あんたは、この後もあたしの荷物持ちに大決定だから。まあ一人いれば十分だから、みんなは 一年の疲れを今のうちに癒しておいてちょうだい。あたしが帰ってきたら、ぶっ倒れるまで遊びまくるからその つもりで!」
 それを聞いた古泉から寄せられる生温かい視線をわざとらしく無視し、俺は盛大に溜息をついた。
 やれやれ、どうやら俺の春休みはまだ来ていないようだ。 

 そういう成り行きで、俺は今ハルヒと共にショッピング中である。
 一応断っておくが、デートなどという心躍るようなものでは、決してない。断じてない。
 ハルヒは店という店を片っ端から出入りし、俺の持つ荷物は大家族の洗濯物かのようにかさんでいった。
「あーこれも要るわね。あと、これとこれも必要だわ」
「待て、それは要らんだろ。お前、買いすぎだ」
「うるさいわね! 何であんたにあたしの必要不必要がわかるのよ。せっかく久し振りの帰省なんだから、色々 サービスしてあげることにしたのよ」
 ハルヒは笑顔で俺に文句をのたまいつつも、次々と商品を品定めし買い物カゴを埋めていく。
 百ワットスマイル・イン・百円ショップ。
「それは誰に向けて何のサービスだ、いったい」
「お爺ちゃんお婆ちゃんに決まってるでしょ。こんなに可愛い孫に四年も会ってないのよ? 可哀想じゃない。
これくらいの心構えは当然だわ」
 可愛いとか自分で言うな、自分で。
「……そうかい。そりゃ大層喜んでくれることだろうよ」
 俺はやる気無さげに答えてやった。
 ハルヒは百ワットの笑顔をそのままに、
「当然よっ! さっ、キョン。次行くわよ!」
 そう言って俺の手を取ろうのしたので、あろうことか俺は慌てて荷物を片手に纏めてしまった。
 つい条件反射で手が動いてしまったが、これではまるで、俺がハルヒに手を取られたかったみたいじゃないか。
パブロフの犬もビックリの反射だ。
 だが、まあ、なんだ。それほど卑下するようなことでもないだろう。
 たまにはそういうことも悪くないと思っている自分が居るのも、また事実なのさ。

 さて、バーゲンセールに飛び込む主婦のような買い物の嵐に付き添うこと、数時間。
 俺たち、というかハルヒは一通りの買い物を終え、満足そうに俺が両手に抱えている紙袋ビニール袋を眺めながら 歩いていた。俺にしてみれば、ひたすら重いの一言に尽きる。
「これで完璧よ。後は明日を待つばかりだわ」
 当然だ。これだけ買ってまだ完璧じゃないという方がありえない。
「ねえ、キョン。あんた春休みに何かしたいことある?」
「それは、俺の個人的な事ではなくて、SOS団でのイベントって意味か?」
「もちろん、そうに決まってるじゃない」
 春休みに入る前も、この春休みも遊び呆けるであろうという確信めいた予想はしていたのだが、実際にどんな イベントになるかはまったくもって考えてなかった。
 うーん、この一年でかなり色々なことをやり尽くした感はある。となると、やっぱ季節事になるよな。
 けど花見くらいは、ハルヒならとっくに考えているだろうし。
 あとは、そうだな、
「四月一日にドッキリ企画なんかどうだ?」
「エイプリル・フールね。うん、そうね。悪くないかも」
 ハルヒは口をへの字にして、うんうんと頷く。お偉い老教授のようだ。
「そうだな、古泉あたりを騙すのがおもしろそうかもしれん」
「……うーん。でも、古泉くんならすぐに見破っちゃいそうね。けっこう洞察力とか鋭そうだし」
「じゃあ、朝比奈さんか?」
「みくるちゃんは簡単に騙されてくれると思うけど、何かそういうみくるちゃんを見慣れてる感がものすごく あるわ。物足りないわね」
「となると、あとは長門しかいないぞ。あいつは……無理だろ」
 実行する以前に、企画段階ですでに見破られている可能性が大いにありうる。
「……そうねえ。やっぱり……あんたしか適任者はいないわね。ということであんた、今の会話を記憶から消し なさい」
 無茶苦茶な。
 そんなハルヒの無茶な要求に俺はもちろん答えることはなく、両手に下げた袋が強制的にダンベルと化しつつも、 俺はなんとか足を進めていた。ハルヒの満面の笑顔を見ながら。
 
 まったく、なんて楽しそうな顔をしやがる。
 入学当時のハルヒを見た何人が今のハルヒを想像したであろうか。いや、誰も想像しなかっただろう。

 そんなハルヒの笑顔は、長門の状態のことを忘れそうになってしまうほど眩しかった。

「なあ、ハルヒ」
「何?」
「この春休み、思いっきり楽しむぞ」
 そう俺が言うと、ハルヒは今日一番の笑顔で、

「あったりまえじゃないっ!」


                          次へ