「入ったら?」
 一年五組で俺を待ち受けていたのは、意外な人物だった。
「お前か……」
「そ。意外でしょ」
 普段と何一つ変わらない柔和な笑顔を俺に向け、朝倉涼子は机に上り何やら右手を振り上げている。
 それこそどこぞの親方の如く流麗なフォームで金槌を釘に打ちつける姿は……、って。
 ……あのー、朝倉さん? あなたは一体何をやっておいででしょうか?
「今、空間閉鎖中なの。ちょっと待っててね」
 いや、さっぱり意味が解らんのだが。とにかく朝倉の行動を見る分には、扉を封鎖せんとしていることだけは解る。
 ていうかだな、お前。そういう所有権が学校に帰属するものに破損というか何というか、学校とか生徒会とかその他諸々の、
「あ、ごめんね。そこの釘取ってくれない?」
 イエッサー。
「ありがと」
 俺から数本ばかりの釘を受け取ると、またすぐさま親方モードに突入する朝倉。
 さて、ここでいったん今の俺の立ち位置を確認してみよう。
 机の上に立って金槌をスローイングしまくる朝倉。んで、その下で釘の箱を抱えている俺。という構図が出来上がる。
 つまりだな、学校の規定によりスカートを着用している朝倉の下から、不可抗力で俺がそれを見上げているという形になるわけだ。
 要するに今現在、俺の視覚に多大なる問題が発生しているわけで、しかもこの朝倉のルックスときている。
「朝倉」
「なに?」
「いや、あの、なんというかだな」
「どうしたの?」
「今お前はスカートを履いている。それは解るな?」
「もちろん、見ての通りよね」
「スカートというものはだな、パンツのようにあらゆる角度から内部の情報漏洩をシャットダウンできるものではない。これも解るか?」
「だからどうしたの? それも当然よね」
「……そうか。いや、やっぱりお前は優等生だと思ってな。すまん、忘れてくれ」
 こうして数十分に渡り、俺は脳内で色々な情報爆発の抑制を強いられつつも、朝倉の助っ人活動にいそしんでいた。


「ふう。これで完成ね。ありがと」
「ああ。で、用事ってのはこれだけか?」
「ううん。ここからが本題なの」
 相変わらずの満点笑顔を俺に向けつつ、朝倉はやおら机から足を下ろす。そこから覗く純白の何かがこの期に及んで眩しく、蛍光灯の必要性を疑ってしまいそうなほどだ。省エネに秀でた朝倉涼子。
 なんのキャッチフレーズだ一体。
「あのね、何も変化しない観察対象に飽き飽きしてるのね。だから……」
 またもや意味の解らんことをのたまいながら、朝倉はスカートのポケットから、
「あなたを殺して涼宮ハルヒの出方を見る」
 ボトル入りの醤油を取り出した。
 いや、待て。今朝倉はなんて言った。俺を殺す? なぜ? ホワイ?
 ていうか、
「で、その、なんだ。お前はその醤油を凶器として俺を殺したいというわけか」
「うん」
 俺は頭を抱えた。
「……よし、解った。百歩譲って俺を殺したいということに関しては、この際目を瞑ろう」
「あら、潔いのね」
「でだ。どうやったらその醤油が凶器となりえるのか、その経過を説明してもらおうじゃないか」
 朝倉は満面の笑みを一ミリも崩すことなく、
「人間はね、醤油を大量に飲むと死に至るみたいなの。知ってる?」
「……ああ。残念ながら俺は知っているようだ。で、お前がそれを俺に飲ませるというわけか」
「そ。簡単でしょ?」
 簡単なのか。どうやって俺に飲ませ……、
「おわっ」
 朝倉は瞬時に俺との距離を詰めて密着するや否や、左腕を俺の首に回し、右手でボトルの注ぎ口を俺の唇に押し付けてきた。
 ついでに何か二つの柔らかい物も腕に押し付けられ、むしろそっちの方が色々な意味でタチが悪い。
「ま、待て! 落ち着け朝倉! まずはそのボト、ふごっ」
「無駄なの」
 とうとうボトル、と朝倉の指が俺の口内に突っ込まれた。
 タプタプと口内に醤油が注ぎ込まれるが、正直朝倉の指のせいでなんだかどうでもよくなってきた。舐めたりしたら怒られるだろうか。
「ぶほっ」
 むせた。
 朝倉の整った顔が醤油まみれになるが、当の本人はさほど気にはしていないようで、
「死ぬのっていや? 殺されたくない? わたしには有機生命体の死の概念がよく理解出来ないけど」
 とかまたわけの解らんことを言いながら、先程まで俺の口に入っていた指を舐めている姿が妙にエロい。
「解ったからまず離れろ。殺すとかは後でじっくり聞いてやるとして、とにかくこの密着感は俺の中のあらゆる制約に引っ掛かる」
 俺は理性を保てるあいだに朝倉から身を剥がすまいと、力づくで引き剥がそうとしてみるが、
「最初からこうしておけばよかった」
 身体が動かせなくなっている。アリかよ。反則だ!
 いや、まあこれはこれで、俺の本能が暴走しそうになったとしても朝倉の身の安全は確保できる。俺の方は知らんが。
「じゃあ、死んで」
 そう言って朝倉はボトルを自分の口に含み、醤油を自分の口内へと流し込んで、
 ……って、いやいやいや。ちょっと待て。醤油を飲むのは俺の方であって朝倉ではない。だが朝倉は今自分の口に醤油を流し込んでいるわけで、そこから導き出される結論はおそらく。
 いかん。いかんぞ。それは間違っても今の俺と朝倉に許される行為ではない。一億万歩譲って世間的に許されたとしても俺自身が全力を以って阻止しなければならない展開だ。
 とにかくそれだけはあらゆる理由が積み重なってマズイことこの上ない。
「……ん」
 必要以上に艶のある声を出して、朝倉の整った顔が俺の顔に近づいてくる。それこそ二つの唇の距離がゼロになろうとしたその時。
 凄まじい爆音と共に、教室の扉と一緒に壁がぶち破られる音が鼓膜を揺さぶる。
 瓦礫の山と共にそこに現れたのは……、


 大型ショベルカー、とそれに乗った長門有希の小柄な姿だった。


 あのー、長門さん? あなたまで一体何をやっておいでで……。
「一つ一つの釘の打ち込みが甘い」
 長門は、ショベルカーに乗っていること以外はいつもと変わらず平坦な様子で、
「板の立て付け角度も、トラスの構造も甘い。だからわたしに気付かれる。侵入を許す」
「邪魔する気?」
 ……もう勝手にやってくれ。
 お、そういえばもう身体が動くな。長門が破ったところからお先させてもらうとするか。
「鍋とカセットコンロによるその調味料の蒸発を申請する」
「やってみる? ここではわたしの方が有利よ」
 適当にドンパチやっている長門朝倉コンビを横目に、俺は教室を後にした。