朝、学校へ到着すると校舎沿いの花壇が満開になっていたので、ちょっとグラウンドで泳いでみることにした。
 軽やかにグラウンドへ向かって歩き、
「これは春かもしれん」
 ここぞとばかりに俺は呟く。
 そういうわけで早速グラウンドの中央あたりに到着。そこで俺はやっぱりもうちょいグラウンドの隅へと移動することを決意した。
 うつ伏せで倒れこみ、やがて顔に型が付くまで砂と小石の感触を堪能する。これはやばい。
 手足に関しては、誰かがそれを見たところで瞬時に平泳ぎをイメージできるよう正しいフォームを心掛ける。
「こいつはたまらん。お前もやってみろ国木田」
 試しにそう言ってみるが、特に国木田がいるというわけではない。
 
 ――見つけた。  

 俺だけの時間。
 現実を遥かに凌駕するほどの夢をふんだんに詰め折りにしたひと時。
 だが、何ゆえこうもタイミング良く邪魔立てしようとするのだろうか。
「おや、何をなさっているのでしょう?」
 こいつは完全に節穴だ。これのどこを見れば、何をしているのか、などと問わなければならないのか喉にポリープが発生するまで問い詰めたい。
「どうやら僕も参加した方がよさそうですね」
 俺だけの時間、それが俺たちだけの時間へと進化を遂げた。
 二人分に嵩増しした俺の夢、それがトリガーとなったのであろう。気付けば三年もの時間を遡っていた。
 ふと横に目をやったところで古泉はいない。当然だ、今は三年前である。だが俺は構わず正しいフォームを心掛け続ける。
 三年前であろうが全く変わらない砂の感触、それがトリガーとなったのであろう。気付けばもとの時間軸へと戻っていた。
「おや、おかえりなさい」
「ああ、どうやら未来的な何かに巻き込まれていたようだ」
 二人して夢のような会話に花を咲かせながらも、手足を動かすことを忘れない。
 その時だった。  

 ――居ない。  

 古泉が居ない。消えた。
 だがそれも一瞬の出来事で、すぐさま古泉は姿を現した。
「戻ってきたか」
「ええ、これが時間遡行というものなんですね」
 そろそろ俺と古泉の位置を入れ換えてみたい衝動に駆られる。だが、そんなことを仕出かした日には何が起こるか解ったもんじゃない。
「何といいますか、そろそろ位置を入れ換えてみてもいいのではないでしょうか」
 解ってる。だが、あまりにも大きな危険が伴う。
「行こう」
 あの場所へ。位置を入れ換えることなく。
「そうだ。位置を入れ換えてみればいいんじゃないか?」
 そう言って、俺と古泉がすれ違おうとした瞬間。

 ――まずい。

 冗談半分だが世界が捻れるような感覚。俺ですら感じ取れる大きな時空震。
 またもや古泉がいない。
「やっちまった」
 俺は早々に音楽室へと向かわなければならない。
 俺は音楽室の扉を開ける。だが一つ気に掛かっていた懸案事項を思い出し、扉を閉めた。
 それを3、4回ほど繰り返し、今はグランドピアノの前に立ち尽くしている。
 拳でピアノ線を直接叩きつけ、その音色を堪能する。
「なんて音色なんだ。お前もやってみろ国木田」
 やはり国木田はいない。
 だが、その音色が良くなかったんだろう。そこで俺はその音色を良いと思うことを固く決意した。
 グランドピアノを音楽室からグラウンドへ引きずり出す。色々と幅が広すぎるが、すんなり外へ出すことができたのが幸いだ。
 そこで俺はグランドピアノを校長室へ預け、いったん授業を受けることにした。
 前の教壇で古文、後ろ側にある小さめの黒板で戻ってきた古泉による数学の授業が同時に行われる。ノートを取るのもままならない。
 俺は窓際で英語の授業を開始した。初めての、教える側という立場。
 ふと生徒たちに目をやると、そこには見慣れない顔が並ぶ。だが教室は一年五組。どうやら三年前だ。
「ニ年前じゃないのか?」
 俺の疑問などそこそこに、生徒たちは俺をじっと見つめてくる。
 視線に耐え切ることができず、俺は思わずグラウンドへ向かい教室を飛び出した。そう、今度こそ中央へ。
 またしても満開の花壇が視界に入るが、今はそんなもん関係ない。
 やがてグラウンドに差し掛かるが、それも今は無視だ。
「やっぱり春なんだ」
 北高を出る。
 そこで一度校内に戻り、それを5、6回繰り返したあと再び校内を出る。
 俺の前方百メートルほどのところを、俺に同じく走っている奴が一人。

 古泉。

 しかしすぐさま消えた。どうやら元の時間軸に戻ったらしい。
「キョンくんおかえりー」
「すまん、シャミセンと入れ違いにならなかったか?」
 妹に弁当の中身を手渡し、俺は自分の部屋へと駆け上がる。
 よかった。俺は無事帰還を果たしたんだ。
 これから元の時間軸へと戻る為、俺は何度でもグラウンドへ向かい続けるだろう。
 解ってる。

 春が終わりを告げる前に、必ずあの感触を取り戻してやるさ。