手にしたチケットに記されてある番号と、それぞれの座席の窓側に記されてある番号を代わる代わる眺めつつ、 俺は車両内を不審者のごとく彷徨う。
「お、ここだ」
 俺が鶴屋山をせっせと下山したあと、直ちに古泉と連絡を取り、ハルヒの帰省先の都道府県を伝え、詳しい住所を 調べてくれるよう頼んだ。
 すると古泉は、新幹線のチケットを立ちどころに手配し、俺が新幹線を降りるまでに詳しい住所を調べておくと 約束した。ちなみに、俺にチケットを手渡してくれたのは新川さんだ。
 俺は自由席でも一向に構いやしなかったのだが、気前のいいことに今手にしているのはグリーン車のチケットで ある。こういう前向きに座るタイプの車両で膝を伸ばすなんざ、俺にとっちゃあ一生縁のない事だと思っていた ばかりに、いざ実際にそういう事態に直面すると、何だか反って落ち着かない。
 そう感じながらも、俺は優雅に足を伸ばして足先をクロスさせ有名人になった気分を味わいつつも、一刻も早く ハルヒのもとへと、逸る気持ちを運転手に託して到着を待ちわびていた。

 そして、心地良いグリーン車に揺られること一時間半。
 目的地を告げる車内アナウンスが響き、俺は快適な列車の旅に後ろ髪を引かれつつも降車を余儀なくされた。
 すると、俺が降りるのを見ていたかのように、妹に勝手に設定されたアイドルグループの曲の着信音が鳴り出す。 これなら、ハルヒの「着信音1」の方がまだマシだぜ。
『詳しい住所が解りました。今から言いますので、メモの用意を』
 俺は古泉に言われたとおりにメモを取り、乗り換えのホームへと颯爽と足を進める。

 この後、さらにもう一度乗り換え、次は三時間に一本のバスに運良く十分で乗り継ぎ、ようやく残りは徒歩となる ところまで辿り着いた。
 深々とした緑や土色が辺り一面の大部分を占め、建物といえばこれまた土色に近いおよそ木造建築の住宅程度 しか見当たらない。これぞ田舎といった様相である。
 ここが、あの迷惑娘を作り出す過程で一役買った人々の町、というか村だなこれは。
 などと、ハルヒの祖父母に対して失礼極まりない所存を抱きつつも、メモのとおりに歩を進める。
 しかしだな、このままハルヒ祖父母宅に突撃するのか? そろそろ晩飯時なのは間違いないが、俺はヨネスケに なった覚えはない。
 何つうか、考えてもみてくれ。いきなりこんな田舎くんだりまでやってきて、全く面識のない友人の祖父母宅を 訪ねるなんざ、どう考えてもおかしいだろ、普通は。まあ、普通ではない状況ゆえにこうして来ているのだが。
 都合良くハルヒの方からこちらへ向かってきてくれる、なんてことはないのだろうか。
 俺は歩けど一向に変わらない景色をぼんやりと眺め、差し当たってハルヒ祖父母宅を訪ねる以外の手段が閃く こともなく、そのままメモが記す場所を一路目指していた。

 そして、この変わらない景色に飽き飽きし始めていた頃、畑に囲まれた景色の中、その中の一つの畑の中だ。俺の 視線が一人の人影を捉えた。
 低めの背丈、肩口よりほんの少し下ほどの長さの黒髪、そして何より、両サイドにリボンをあしらった黄色い カチューシャが、その人影の正体を物語っている。


 ――いた。


 一年間ずっと見続けてきた後ろ姿を、俺が見間違えるはずがない。
 まごうことなき、ハルヒだ。
 結果的に、祖父母宅に今晩のご飯は何なのかを訪ねるようなことをせずに済んだのはいいが、あんなところで 何をやってんだか、あいつは。
 俺は、その微動だにせず突っ立っている後ろ姿に近づいていく。
 考え込んでいるのか、俺の存在に気付く様子は全く見せない。

「よう、元気か」
 後ろを振り向き、俺の存在を確認したハルヒは、何とも言えぬ表情をしてくれた。
「え?……な……何やってんのよ、あんた! こんなとこで!」
 実にいいリアクションだな。俺は今、目を見開いて驚くハルヒという、すこぶる貴重な場面に直面している。
「こんなとこも何も、ちょっとお前に用事があってな」
「何よそれ。わざわざこんなことまで来る程の用事って何なのよ?」
 用事という言葉が稚拙に感じるほど、程度の甚だしい大役を任されてるんでな。
「まあ、それは置いといてだな。どうだ、楽しいか田舎は?」
「は?……どっちなのよ、まったく。まあ、正直暇ね。ほんとに何にもないし。こうして突っ立って哲学的思考を 廻らせる事ぐらいしかやる事がないわね」
 ハルヒは溜息をつき、その暇さ加減をぶしつけに行動で示す。
「なんだ、おじいちゃんおばあちゃん孝行でもするんじゃなかったのか?」
「してるわよ。今はちょっと息抜きで外に出てるだけなんだから」
 何だそりゃ。暇なのか息抜きが必要なほど忙しいのか、よく解らん言い草だ。
 だが、そんな俺のつっこみをハルヒは無視して、
「そんなことはどうでもいいわ。で、何なのよ。用事って」
 俺は、ひとまず間を置き、目を瞑って緩んだ気持ちを入れ直し、
「ハルヒ、SOS団が今、大変な事になってる」
 真剣な眼差しでハルヒを見据える。
「……ど、どうしたのよ。そんな真剣な顔、あんたに似合わないわよ……」
「長門が消えちまった」
 つかの間、ハルヒの動きが止まる。
「消えたって……ちょっと、あんたが何かやらかしたんじゃないでしょうね。襲ったとか」
「アホか。何だって俺が長門を襲わなきゃならん」
「ならいいけど。あんた、何か心当たりはないの? ちゃんと有希が行きそうなとこは全部探した?」
「ハルヒ、違うんだ。消えたといっても、失踪とか縁起悪いが死んだとかそういうことじゃない。文字通り、消え ちまったんだ」
 ハルヒは痴呆症患者でも見るような視線を俺に向けてくる。何やら谷口視点に立ったような気分だ。
「……は? あんた何言ってんの? もともとおかしかったけど、さらに輪を掛けておかしくなったんじゃない?  わざわざそんなこと言いにここまで来たわけ?」
「ハルヒ、覚えてるか? 俺がだいたい一年前に……そうだ、あの五月の二人だけの市内不思議探索の時だ。その 時に俺が言ったことをだ」
「覚えてるも何も、二人だけしかいなかったんだから色々会話があったでしょうが。どの話のことよ」
「長門が宇宙人で朝比奈さんが未来人、古泉が超能力者だって話だ。どうだ、思い出したか?」
「思い出すも何も、覚えてるわよ。で、それがどうしたのよ。実はあれは本当の事なんだ、って類の話なら一切受け 付けないから」
「その通りなんだ」
「やっぱり、あんた前にも増しておかしいわ」
「ハルヒ、俺はおかしくなんかなっちゃいない。信じてくれ。お前が信じてくれんと話にならん。長門が消えた ままになっちまう」
「何であたしが信じないと有希が戻ってこないのよ」
「簡単だ。お前にはそれだけの力が備わっているからだ」
 俺がそう言うと、ハルヒは得意げにそのキュッとくびれた腰に手を当て、
「まあ、確かにあたしの手に掛かれば有希の一人や二人くらい、ちょろっと連れ戻してあげるけどね。でも、いくら 団長だからって頼りすぎはダメよ。団員を成長させる事も団長の仕事の内なんだから」
「それも違うんだ。そういう意味での力じゃない。何というか、お前の力が一番説明し辛いんだよな」
 SOS団の皆でも、三者三様の説明だったからな。

 だが、やっぱりここはあいつの言葉を借りるべきだろ。
「これは長門の受け売りだが、お前には自分の都合の良いように周囲の環境を操作できる力がある。まあ、要する にだ。お前が思ったり願ったりすれば、何でもその通りになるって訳だ」
「あっそ。すごいわねあたしって」
 ハルヒはものの見事に信じていない。だが、俺は構わず続ける。
「そう、すごい事なんだ。お前が宇宙人や未来人や超能力者と遊びたいと思ったから、長門と朝比奈さんと古泉が SOS団にいる。それがお前の適当な人選だったとしても、結果としてお前は的確にあの三人を集めたんだ。お前 がそう望んだからな。そしてだ。お前が長門の消滅を信じ、心から戻ってきて欲しいと思えば、きっと長門はまた 俺たちの前に現れてくれる。ハルヒ、これは冗談でも俺の頭がイカれた訳でも何でもない。まごうことなき、事実 なんだ。なあ、お前はこの一年の間で、何か些細な事でもいい、おかしいと感じた出来事はないか? 今のは気のせい だと自分に言い聞かせたような出来事はないか? 思い当たる節があるなら言ってくれ。全部真相を話してやる」
 これほどまでに真摯に、俺が古泉ばりの長台詞を放つを目の当たりにし、ハルヒは動揺の色を僅かながら見せ 始めた。
「……じゃあ、仮に、仮によ。みんなの正体があんたの言うとおりだったとして、あんたは……あんたは何者なのよ」
 そりゃもっともな質問だ。俺が一般人だということは揺るぎの無い事実だが、何ゆえに俺がお前に選ばれたかと いう疑問に関しては、こちとら説明しかねる。なんせ俺が説明して欲しいくらいだからな。
「ああ、俺か。俺は正真正銘、長門と古泉お墨付きの凡庸たる一般人だ」
「何それ……てっきり異世界人とでも言うのかと思ったわ。まあ、当然よね。あんたはどこをどう見ても普通以外 の何者にも見えないわ。じゃあ、何で一般人のあんたが団員に選ばれたのよ」
 そらきた。
「それはこっちが訊きたいくらいだ。何で俺をSOS団に入れたんだ?」
 問い質したつもりが逆に問われるという不意打ちを受けたハルヒは、一瞬戸惑い、
「そりゃあ、何ていうか……あんたの台詞を聞いて思い付いたんだし……その……」
「その、何だ?」
「だから……あーもう! 雑用よ雑用! 雑用係に特別な属性なんかいらないでしょ!」
 ハルヒは口を尖らせてフンと横を向く。見慣れた仕草だ。
「そうか……てことはだな、俺以外の皆は特別な属性があることを信じてくれたって思っていいのか?」
 妙な間が空く。その僅かな間に、一瞬ハルヒの目が泳いだのを俺は見逃さなかった。
 だが、それは誠に一瞬の出来事で、ハルヒはすぐさま気を持ち直し、キッと俺を睨み付ける。
「うるさいっ! 今更……今更そんなこと信じられるわけないでしょ!」
 と、吐き捨てたハルヒは後ろに振り向き、ツカツカと早歩きで立ち去ろうとする。
 だが、俺はハルヒの腕を掴み、
「待てハルヒ! 頼む、信じてくれ。長門を取り戻せるのはお前だけなんだ!」
「あんた、しつこいわよ!」
「お前は長門を見殺しにするってのか!」
「は? 見殺し? 死んだんじゃなくて消えたんじゃなかったっけ!? とうとうボロが出たわね!」
「揚げ足を取るようなこと言わんでいい! 頼むから、長門を取り戻せるよう願ってくれ!」
「黙れっ! もうあんたの話はうんざりよ! 急だけど、なんとか明日に帰ってすぐ有希を探しに行くから、今は とっととここから立ち去って家に帰りなさい!」
 乱暴女は強引に俺の手を振り払い、今度こそ俺の前から立ち去る。

 だが、俺はちっとも焦ってなどいなかった。
 俺がこの乱暴女に対して今から投げ掛けるのは、対涼宮ハルヒ用にして最大最強のリーサルウェポン。
 そう、俺はまだ切り札を残している。正真正銘、最後の切り札だ。
 防御回避不能にして絶対必中。
 遠ざかる背中に、俺はそれを放つ。


「待てハルヒ!『あたしならここにいるから早く現れなさい』」


 早歩きで去っていくハルヒの動きが、ピタッと止まった。
 すぐ様こちらへ振り返り、殺気のみで小動物を殺せそうな程、ものすごい形相で俺に近づいてくる。
 そして、俺との距離を詰めるや否や、金でも脅し取るのかという勢いで俺の胸倉を掴む。
 まったく、あの改変世界のハルヒと似たり寄ったりのリアクションをしてくれる。
「……何よ今の。あんた、それどこで覚えた?……」
 先程の小動物殺しの形相をそのままに、俺に凄まじい眼光を突きつけてくる。こりゃ人間でもやばい。
「どこでも何も、これはお前の言葉じゃなかったか? よかったじゃないかハルヒ。彦星と織姫は十六年どころか たった三年で、お前のこのメッセージの意味するところを実現させてくれたんだからな」
 その凄まじい眼光は、みるみる動揺の色で覆われていく。顔はそのままの形相なばかりに、異様な表情だ。
 同じく動揺の隠せない、端々に震えが感じられる声で、
「……何で、何であんたがそれを……。あれは、あたしとあの時の変な高校生しか知ら……え? まさか……」
 ようやく、俺のしょぼい胸倉が開放される。ハルヒの顔にも、もうあの形相は見えない。

「ハルヒ。俺にはな、お前や皆がこぞって呼んでいるすっかり定着したマヌケなニックネーム以外に、もう一つの ニックネームがあるんだ」

 そう。それは、四年近くにも及ぶ歳月の間、ずっと温められ続けてきた固有名詞。

「だがな、そのニックネームを知るのは人口約六十億の世界でただ一人。ハルヒ、お前だけなんだ」

「……うそ……そんな……」

 そして、おそらくこの瞬間こそが、俺があの時の七夕へ朝比奈さんと同行させられた、一番とする理由。

「そのニックネームこそが――」


 そして今、すべてに終止符を打つべく一言を、俺は放つ。



「――ジョン・スミスだ」



 はっきりと力強く言うことが可能だった。
 そう、あの時と違い、今はネクタイを締め上げられている状態ではない。
「そんな……あんたが……キョンが……あのジョンだったって言うの? そんなの……」
 何かが限界に達したハルヒの足元がふら付き、よろめく。
 だが、今はもちろんハルヒの隣に古泉の姿は見当たるはずがなく、俺が手を伸ばして支えてやる。
 何というか、これ程までにあの世界のハルヒと同様の反応を見せられると、妙に感心というか納得というか。

「何で、何であんたにあんな事が……あんたは一般人なんじゃなかったの?……」
 俺の手に支えられつつも、ハルヒは自力で立つべくして体勢の立て直しを図っている。
「ああ、俺は一般人に間違いない。俺に特別な力など皆無だ。あの時、俺が一人の女の子を背負っていたのを覚えて るか?」
 一瞬、ハルヒは思い出しているような素振りで上に目線をやり、
「……そういえば。なるほど、わかったわ……」
「あの女の子こそが俺を四年前の七夕へ連れて行った張本人、未来人の朝比奈さんだ」
「……そう」
 長門の決まり文句を拝借し、これまた長門ばりの平坦さでハルヒは言う。
 だが、その短い決まり文句のあと、すぐさま顔を俯け口を開かなくなった。
 ここは男として、何か気の利いた台詞なんかをほざいてやるべきなんだろうが、俺に限っては度外れな発言に 到る危険性が高い。
 俺が古泉のようにそううまく言えるはずもなく、不本意ながら黙っている以外に俺の脳が妙案を叩き出すことは なかった。笑いたきゃ笑え、どうせ俺はチキンだ。
 しばらく、気まずくも二人揃って無言のひと時が流れる。
 そんな気まずい沈黙を破ったのは、最初に黙りこくったハルヒ本人だった。
「……バカみたい。みんなすごい事体験してるのに、あたし一人が普通の事して、くだらない事で楽しいなんて 思って満足して」
「すまなかったハルヒ。お前に黙ってた事はこの通り、謝る」
 普段なら、俺がこいつに頭を下げるなんざ天地が何回転ひっくり返ろうがありえない話だが、まあ、流石に今は こういう状況だ。だから、な。俺も悪魔じゃないってことさ。
「……もう、もういいわ。……さぞ楽しかったでしょうね、この一年。でも大丈夫、解ってるわ。今はそんなこと 言ってる場合じゃないんでしょ。有希がほんとに消えちゃったんだもんね。……有希」
 解ってくれたか、ハルヒ。いや、お前ならきっと解っ、
「……でも」
 ハルヒはまた、顔を俯ける。唇を噛み締めているのが、僅かに見て取れる。
 そんな直後だった。
 
 油断した。
 
 ハルヒは俺に表情を見せる事無く、見事な速さで俺の手をするりと抜け、一目散に走り出した。
「ハルヒ!」
 もちろん、俺はすぐさま後を追う。
「付いてくるな!」
「付いていかん訳にはいかんだろ!」
 無意識の内にしょうもないダジャレを口走りつつも、俺はなんとか離されるまいと運動不足ぎみの脚に鞭を 入れ続ける。
 だが、そんな出ばなをくじくかのように、俺の携帯のマヌケな着信音が鳴り始めた。
「くそっ」
 何だ、こんな時に。選曲が全く状況にマッチしてないのが無駄に腹が立つぜ。
 俺は走りながらも、おたおたと電話に出る。
『やりましたね。流石と言えるでしょう。今長門さ……』
 プチッ。
 よし、これだけ聞けば十分だ。長門は復活したに違いない。
 すまんが古泉、お前の長ったるい御高説に耳を傾ける程の余裕など、今の俺には皆無なもんでな。
 古泉のインテリジェントトークを三秒で打ち切った俺は、再びハルヒを追う事に全ての神経を注ぐ。
 そうしている間も、休むこと無く激走を続けるハルヒ。
 どうでもいいが、畑を踏み荒らしまくるのはどうかと思うぞ。
「やれやれ、とんだ中距離走だぜ」


 しかし、何なんだ。いったいどこへ行くつもりだ、あいつは。

 どこへ?

 ……いや、違う。
 問題はそれじゃない。
 この内陸部から走って海を目指そうが、チャリンコが無いために走って駅へ向かうのであろうが関係ない。
 今問題なのは行き先ではない。
 あいつは……。
 いったいあいつは、


 ――何をやらかすつもりだ。


 そう、無意識で、だ。
 最後のすかしっ屁か何だか知らんが、世界をどうにかしちまうような事だけは御免だぜ、ハルヒ。
 しかしだな。それを阻止する為には、まずあいつに追い付く事が必須条件な訳なんだが。
 何つう俊足だ、あいつは。韋駄天もいいとこだ。
 あいつに、男の俺を立ててあげようという類の気遣いでも生じない限り、追いつける気が毛頭しないのだが。 
「はあ、はあ……頼むから止まってくれ」
 そりゃ独り言も多くなるってもんだ。 

 そんな独り言オンパレードもいよいよ折り返し地点に差し掛かろうとしたその時だった。 


 ――きた。


 この感覚。
 長門が世界を再改変した時の、あの世界が捻れる様な感覚。それと酷似しているが、比べるとごく小さい。
 あれの予兆のような雰囲気を感じる。
 まずい。これは非常にまずいかもしれん。
 この一年で培った俺の直感曰く、放っておくと直ぐにも破滅的な方向に向かいかねん。

 そこでまた、俺の携帯が鳴り始めた。
 もう無視でいいだろ。許せ。

 『着信 朝比奈みくる』

 よし、気が変わった。出よう。
『キョキョンくん! じじ時空震が起き始めてますぅ! このままだと……』
 やっぱりか。俺の直感も捨てたもんじゃないぜ。
「はあ、はあ……大丈夫……はあ……です。俺が……はあ」
 走りながら喋るってのは、やたらと体力を削るもんだ。
 だが、ここで体力が尽きる事はゲームオーバーに等しく、俺は早々に朝比奈さんとの通話を切り上げ、再びハルヒ との鬼ごっこに専念する。相手が岩かと思えば次はハルヒかよ。
 俺は電話を切る際に、時刻を確認した。

 六時五十五分。

 確かハルヒのとんでもパワー封印は七時十五分。
 あと二十分。
 これは長いのか短いのか。
 どちらにしろ、タイムオーバーを狙うのはリスクが高すぎる。
 ということは必然的に、俺がハルヒに追い付く以外に打開策は無いことになるが……。正直、体力的にはもう かなり厳しいところだ。追いつけんのか、これ。

 だが、俺の必死の追跡も空しく、いかんともし難い運動能力の差で、先程からハルヒとの距離は開く一方だった。
 そして、ハルヒが建物の角を曲がるところを見たのを最後に、俺はとうとうハルヒを見失ってしまった。 
「はあ、はあ……どっちだ?」 
 T字路を勘で右折する。
 ちくしょう。徐々に時空震がでかくなってきやがる。

 六時五十九分。

 こりゃこの調子だと十六分経たないうちに、ハルヒにとんでもない世界にされちまう。
 まったく、あいつは何だってこんな大それた事を仕出かそうとしてやがる。
 もう今のハルヒなら、これほどの厄介事は起こすまいと思っていたんだが……。どうやら浅はかだったようだ。
 まあ、そりゃ多少ショックなのは全く解らんわけでもないが……。
 そりゃハルヒにとって宇宙人未来人超能力者というものは――


 ――ああ、そうか。


 そりゃそうだよな。


 ハルヒはずっと何年も、そう、俺が漫画的特撮的な非日常にふらっと出くわすのを夢見ることをやめてからも ずっと、諦めることなく願い続けてきたんだよな。しかもそれは、ジョン・スミスであるところの俺のせいだと いう事実が、少なからずある。
 そして、そんな心の底から願い続けてきた事がようやく実現したってのに、それを知ることはなく、むしろ今の 今まで隠し続けられて。
 だが、隠さなきゃならなかった、って事はハルヒも解ってくれてるんだと思う。
 解ってるが故に俺に文句も言わず、だが湧き出てくる感情をどう処理していいのかも解らず、思いのほか走り 出しちまったんだよな。一人になりたかったんだよな。
 それだけじゃない。他にも色々と思うところがあるんだろう。

 ……やりきれねえよ。
  
 これは、誰かが悪い訳じゃない。つまり、諸悪の根源というものは存在しないんだ。
 でもな、だからって何一人でウジウジしてんだ、ハルヒ。らしくもない。
 なら、ここぞとばかりに俺に当たればいいじゃねえか。いつもの事だろ?
 お前に唾と共に暴言を浴びせられるなんて荒事は、俺はもうとっくに慣れてるんだからよ。
 ここ一番って時に一人で抱え込んでどうすんだ。
 まったく。
 しょうがねえ、今回だけだぞ。どこぞのスーパーではないが、特別出血大サービスだ。
 仕方なしにではなく、俺自ら当たられ役に立候補してやる。
 だから。



 ――待ってろ、ハルヒ。


 
 そんならしくないお前なんぞ、ちっとも見たいと思わねえからな。


 七時二分。

 俺がひと通りの思考を巡らせ終え、時刻を確認した直後。
「いた」
 倉庫らしき建造物のシャッターの手前に、膝を抱えて座り込んでいるハルヒの姿を捉えた。
 まったく、マジでらしくもねえ格好してやがる。
 近づく俺に対して、ハルヒはもう逃げる様子は見せない。
「おい、何で逃げたんだ」
「……うるさい。付いてくんなって言ったでしょ」
 ハルヒは、俺の方に顔を向けずに言う。
「ったく。なに塞ぎ込んでんだお前は。らしくもねえ」
「……何よ、それ」
「いつからそんな気弱になっちまったんだ、お前は」
「うるさい……うるさいうるさいうるさい! あんたに……あんたにあたしの何がわかるってのよ! あんたは いいわよね。この一年、あんたはさぞ楽しかったんでしょうね。色んな事体験したんでしょうね。ひそひそと あたしに隠しながら有希やみくるちゃんや古泉くんとよろしくやってたんでしょうね、どうせ!」
「ああ、色々と不可思議な体験をさせてもらった。二度ほど命を失いかけたがな。けどな……」
「けど何? 隠さなきゃいけなかったって? 解るわよそれくらい!」
「ならいつまでもウジウジしてんじゃねえ! これからいくらでも不思議的非日常的体験をすればいいだろ! だが、確かに隠さなきゃならなかったとはいえ、隠してたという事はマジで謝る。だからそろそろ立ち直れ!」
「やっぱりあんた全っ然わかってない! そんな単純じゃないのよ! あんたが……あんたがあたしを北高に導いて おいて何そのザマ!」
「じゃあいったい何だってんだよ!」
「そんなの……あたしにも解んないわよ!」
 なんだそりゃ。相変わらず目茶苦茶な物言いだ。
「……もう、もういいわ……」
 時空震の予兆の膨らみ方が、先程よりも勢い付き出している。
「……おい、待て、やめろ」
「は? 何が」
「いいから、とりあえず落ち着け……」
「落ち着け? あんたが……あんたが解ってないこと言うからでしょ!」
「わかんねえよ! 俺に読心術などの能力は持ち合わせてねえ!」
「うるさいっ!!」
 まずい。もう予兆なんかじゃねえ。
 くそっ。つい感情的になってしまう。
 世界の危機はもう目の前に控えてるってのに。
 俺は……俺はハルヒに何を言ってやればいい?
 どうすれば……どうすりゃいいんだ?
 
 七時九分。

 あと六分。
 無理だ。ニ、三分ももつかどうか怪しい。

 何か、何か打開策は無いのか?
 時間がない。
 考えろ。
 何かあるはずだ。
 今ばかりは、世界はマジで俺の双肩に懸かっている。世界も安くなったもんだ。

 ヒント。
 そうだ、ヒント。朝比奈さん(大)のヒントだ。
 あの時、朝比奈さん(大)はすでにヒントは言ってあると言った。

 どこでだ?

 どこで言ってた? あの日の会話を思い出せ。
 何か、それらしき事を言ってなかったか?
 
 ……くそ、解らん。
 ていうかだな、あの日の会話とは限らないんじゃないのだろうか。
 だとすれば、今までに交わしてきた朝比奈さん(大)との会話を全て思い出さなけりゃならん。
 ……勘弁して下さいよ、朝比奈さん。
 だが、今は愚痴をこぼしている時間などない。
 全ての神経を記憶中枢に注ぎ込め。
 
 思い出せ。全ての言葉を。
 何か。
 何かあっただろ?



 くそっ。

 ……無理だ。
 ていうか、朝比奈さん(大)のヒントといえば、



 『白雪姫って、知ってます?』



 これしか思い出せねえ。





 ……って。



 
 ……まさか。




 ……マジですか、朝比奈さん。

 あのヒントが今の状況にも掛かっていたとでも言うんじゃなかろうな?


 ベタだ。またしてもベタだ。
 最後の最後で、再びこんなベタな展開が待ち受けていようとは。
 この展開で始まり、この展開で終わるなんざ、今時てんで安っぽい昼ドラでもありゃしねえ。


 だが、今の俺には、もう迷いなど無い。そんな時間も無い。


 俺は、ハルヒの両肩に手を置く。



 そして。



「もう知ってるかとは思うが、俺、ポニーテール萌えなんだ」
  『俺、実はポニーテール萌えなんだ』


「……え?」
  『なに?』




 ――そう、それはまるで。




「一年前に見たお前のポニーテールは、そりゃもう反則なまでに似合ってたぞ」
  『いつだったかのお前のポニーテールは、そりゃもう反則なまでに似合ってたぞ』




 ――あの場面の焼き増し。




「……それって」
  『バカじゃないの?』



 それは、俺とハルヒにとって通算二回目の。


 そして、現実世界に限っては俺たちの、



 ――ファーストキスだった。



 あの時よりも長く、俺たちは唇を重ねる。


 ハルヒの肩に入っていた力はすでに抜け、俺に体を委ねてきた。


 そんな時、またしても俺は思ってしまったのさ。



 ――しばらく、離したくないね。



 時空震が、


 治まっていく。


 そして、
「……落ち着いたか?」
 俺はハルヒの両手首を握る。
「……けっこうね」
「そうか、そりゃ良かった」
 言葉はこれだけだった。
 しばらく、俺たちはそのまま無言で身を寄せ合う。
 握っていたのは手首だったところが、いつの間にやら掌に変わっていた。
 そして、とうとう。



 ――七時十五分。



 すべてが今、終わりを告げた。
 この一年に及ぶ純然たる戦いに今、幕が下ろされた。


「……ハルヒ、今まですまなかったな」
「……もう、いいのよ」
 お互いに手を撫で合いながら、虫が蠢くほどの小さな声で囁き合う。
 何だろな、これ。この状況。この状態。
 後から客観的に考えると、どう捉えても自殺を図りたくなるであろうこと請け合いなのだが、この時ばかりは、 まあ、何だ、ほれ。
 ずっとハルヒとこうしてたい、などという血迷い事が脳裏をよぎったのさ。
 だから、な、今からの俺の行動や発言も、その血迷い事の範疇だと思ってくれ。むしろ、そう思ってくれんと生きて いく自信がない。
 準備はいいか?
「ハルヒ、これからはもう何があっても一人で抱え込むんじゃない。だから、まあ、何だ、全部俺が受け止めてやる からさ」
「……キョン、ありがと」
 潤んだ瞳を伴った上目遣い、柔らかな口調、まったくらしくねえ。ハルヒの分際で、何て反則的な事しやがる。
 俺のミジンコ並の調子なんか、狂って当たり前だ。そうだろ?
 だから、だから俺はこんな破滅的な行動に出ちまうんだよ。
「……ハルヒ」
 今一度、俺はハルヒの両肩に手を置き、そして。


 通算三度目。


 現実世界で二度目。


 今度は、その行為が成される前にハルヒも目を閉じるのが見て取れた。


 ――俺の唇が、再びハルヒのそれと重なる。


 ああ、もう、何だろな、これ。悪魔が俺の唇をハルヒと離れさせまいとしている。随分と長いんじゃなかろうか。
 なあ、もう俺も帰るの明日でいいか? このまま離れたくないんだが。
「……ん」
 なんとか俺の理性が悪魔に打ち勝ったようで、長かった口付けにようやく終止符を打った。
「……ハルヒ、俺はもう行かないと今日中に帰れん」
「……そう」
「そういえば長門は戻ってきたようだから、お前は明日に帰んなくてもいいぞ」
「……ううん。やっぱり、明日帰るわ」
「何だよ。せっかくなんだし、もっとゆっくりすればいいじゃないか」
「……いいのよ」
「何がだ」
「……もう、そう決めたのよ」
「何でだ」
 ハルヒは、なぜかみるみる顔を真っ赤にして口を尖らせ、
「もう! バカ! ほんとのほんっとにバカね、あんたは! 何であたしにそんな事言わせるのよ!」
 何だかよく解らんが、ようやく元のハルヒに戻ってくれたようだ。
 やっぱりこいつはこうでないと、俺も本調子になれん。
 安堵の意を込めて、俺はハルヒの頭をポンポンと軽く叩き、背を向けバス停へと向かうことにした。
 ハルヒは何やらまだ喚いていたが、それもいつもの事。

 今はハルヒの罵倒が心地良く、俺の頭に響いていた。











 〜エピローグ〜

 ここからは後日談となる。
 俺にとっては、とにかくあらゆる意味で大仕事となった最終決戦の直後、ハルヒは明日に帰るだの帰らないだの、 どうでもいいような事でわあきゃあ喚いていたが、結局あれから明後日に帰って来ることになった。
 そんなこんなで日が沈んだり昇ったりを二度ほど見送り、つまり今日がその明後日に当たるという訳だ。
 そんな明後日な今日に、俺は何をしているのかというと、
「本当にあなたは良くやってくれました。もう何と感謝して良いのか、それに値する言葉が見当たりません」
「ありがとう、キョンくん。一時はもう時空震がすごく大きくなりそうで、ほんとに焦っちゃいましたけど」
 SOS団のメンツ揃い踏みで親分どうぞとばかりに、すべからずしてハルヒを出迎えようとしていた。
 もちろん、そこには、
「…………」
 無事、復活した長門の姿もある。
 お前が戻ってきてくれて、ほんとによかったよ。
 こればっかりは、あの時強情にも諦めようとしなかった古泉のおかげだと言ってやってもいい。実際に口には 出さんが。
 何事も投げ出さずに諦めない事が大事だという、とてつもなくベタな事を身を以て知らされることになったな。 負けない事投げ出さない事逃げ出さない事信じ抜く事。ありがとう、懐かしき大ヒットソング。
「長門さん。情報統合思念体は、記憶の改竄を行わないつもりだったのですか? それとも、もう少し後に行う予定 だったのでしょうか」
 そう。その事に関しては俺も疑問に感じていた。
「行わない予定だった。統合思念体は、涼宮ハルヒの能力が封印される事を事前に知っていた。だが、今のままでは 進化の可能性の糸口を全く掴めないまま終わってしまう事に相応しい」
 そこまで言い終えてから、長門は俺に視線を向け、
「あなたが涼宮ハルヒに事実を告白することによって、大きな情報フレアが起こる事に統合思念体は賭けた」
「なるほど、その大きな情報フレアから進化の可能性を見出そうとしたのですね」
「そう」
「確かに、またいつ涼宮さんの力の封印が解かれるか分からないですからね。もしかすると、もう解かれることは 無いのかもしれないですし」
「わたしに、涼宮ハルヒの能力の封印に関する事項は、一切知らされなかった。だから、記憶の改竄は行われるもの と認識していた。誤算だった。けど……」
 長門は一旦呼吸を置き、
「誤算でよかった」
 何だろう。古泉の長門を見る目が以前より、何というか優しさが込められているような感じを受ける。
 そういや、さっき古泉が来る前に長門が「古泉一樹から、多大な量の謝礼の言葉を受けた」って言ってたっけ。
 よく考えりゃ当然だな。長門は自分を犠牲にして古泉の命を救ったんだからな。何だか二人いい感じじゃない か。よもやこのまま古泉と長門が……。
 ……いやいやいや、それはない。ありえんだろ。たとえあったところで、そんなことは俺が断じて許さん。別に 俺が長門とどうこうなりたい訳ではないが、長門にしろ朝比奈さんにしろ、まあ、ハルヒにしろ、他の男とどうにか なるのは何だか釈然としない。
 俺もハルヒとあんな事があったばかりだってのに、何を考えてんだかね。思春期特有の妙な独占欲だろ、たぶん。

「そろそろ、涼宮さんが到着する頃でしょうか」
 皆が、めいめいの雑談に花を咲かせているさなか、巣からわんさか出てくる蟻のように、駅の改札口から人が溢れ 出してきた。
 俺を含め、皆が改札口周辺に照準を合わせキョロキョロと視線を泳がす。
 いよいよ、その改札口の一角から、
「待たせたわね!」
 ギラギラしたオーラを纏った女王蟻が、俺たちの前に堂々と姿を現した。


 それからの春休み、俺たちSOS団はといえば、団長の号令のもとかの有名学園ドラマのオープニングに見る 生徒のように金八よろしくハルヒのもとへ素早く集合し、相も変わらず様々なイベントをこなしている。
 ハルヒの力が封印されたところで、結局やる事は一緒ってわけだ。だが今までと違うのは、差し当たり妙な厄介事 に巻き込まれることが無くなったという事だ。
 何だかんだ言いつつも俺はそれなりに楽しんでいただけに、終わってしまって寂しくないと言えば嘘になる。
 まあ終わってしまったものは今さら何を言おうが仕方がない。覆水盆に返らずってやつさ。
 
 さて、SOS団の特別属性持ち団員である俺以外の三人についてだが、どうやら現状に変わらず引き続きここに 居座ることになったようで、俺としては喜ばしい限りだ。おそらく皆にとってもそうだろう。
 その事について、俺は皆から三者三様の説明を受けたんだが、つまりハルヒの力がいつまた開放されるか解らない が故に、続けて観察の任務を全うすることになった、という事らしい。俺なりの解釈によれば三人ともだいたい こういった内容の説明だった。
 だが長門に関しては、どうやらハルヒへの説明不足が仇となったのか、能力のシバリは付いたままらしい。まあ、 ハルヒに力が皆無な現状では、そうそう俺たちにちょっかいを出してくる輩も存在しないことだろうし、さほど 心配することでもないだろう。
 とにかく、SOS団からは誰一人とも脱退者が出ずに来年度を迎えることができるというわけだ。


 そうして最後になったが、ああいうことがあった俺とハルヒはといえば、
「…………」
「…………」
 今日も今日とて、花見というこれまた日本人としては外すことのできない風習に我らがSOS団も乗っかろうと いうことで、俺は集合場所の駅前にて皆が揃うのを待ち呆けているのだが……。
 偶然なのかワザとなのか、集合時間十五分前にも関わらず、俺とハルヒ以外のメンツはまだ姿を現さない。
「……お、遅いわね。みんな」
「……そ、そうだな。まあ、約束の時間まであと十五分あるしな」
 皆がいる時はさしてそうでもないのだが、二人きりになるとどうにもお互いを意識してしまう様子で、何だか 妙にぎこちない。唇にあの暖かい感触が蘇る。うむ、実にやーらかかった。
「ちょ、ちょっと。あんたじーっとどこ見てんのよ」
 まずい。何やら無意識の内にハルヒの唇に見とれていたらしい。
「い、いや、つい、ちょっと考え事をだな……」
「……ふーん、考え事、ね」
 それはともかく、そのぎこちなさも嫌な感じはしない。何というか、この微妙な距離感がもどかしくも意外と 心地良い。
 ハルヒは、あれから俺の事をどう思っているのだろうか。
 一方俺はといえば、たぶん、まあ、ほれ、あれだ。世間一般でいうところの、きっとそういうことなんだろう。
 
 だが、当分はこのままの関係で十分だと俺は思っている。つまり恋愛的愛憎的な進展とやらは、まったくもって 今は望んでいないということだ。
 もちろん、今の俺はハルヒに対してそういう類の感情を抱いている事は否定しない。
 だが、俺とハルヒがいわゆる恋人同士とやらにでもなろうもんなら、今のSOS団の人間関係が壊れてしまう ような気がしてやまない。
 だから、当分俺はハルヒに対する接し方を以前と変えるつもりはない。
 ハルヒだって、俺に対して普通に振る舞おうとしてるように見えるしな。


 今の俺にとっては、SOS団が何よりってことさ。 


 お前もそう思うだろ?


 ――なあ、ハルヒ? 




 ああ、そうだ。

 ひとつ忘れてた。


「ハルヒ」
 

 そういや、


「何よ」  


 最後にこれだけは言っておかなきゃならない。




「それは、俺にはマジで笑えることだったんだ」


「……は? 何が」





 気付けばもう丸一年。
 本格的な春を告げる暖かい風が、俺とハルヒの頬を優しく撫でていた。








                                            ――――ラスト・ラプソディ